×

社説・コラム

『潮流』 焼き場に立つ少年

■論説委員 田原直樹

 その「少年」と初めて出会ったのは何年か前、長崎の資料館か美術館の展示室だったと思う。

 被爆後の長崎に進駐した米軍カメラマンが撮った写真の中に立っていた。丸刈りの10歳前後は汚れた服にはだし。幼いきょうだいをおぶって気を付けの姿勢でまっすぐ前を見ている。

 けなげという印象だけだったが、タイトルを見て驚く。「焼き場に立つ少年」とあった。

 背中で眠っているように映る幼子は息絶えており、火葬の順番を兄は待っていたのだ。泣きたいのを、ぐっと唇をかみ、こらえている。軍国教育がそうさせたのか、悲惨な体験をたくさん重ねて涙も枯れたのか。何とも悲しく、また恐ろしい一葉だった。

 1945年9月下旬から7カ月間、長崎のほか広島も訪れたジョー・オダネル氏が撮影した。私的に撮ったネガを持ち帰ったものの惨状を忘れたい思いから封印。90年に公開すると米国で非難されたが、亡くなるまで「原爆投下は過ちで人類への犯罪」と訴えた。

 時を経て少年は、今のローマ法王フランシスコの胸を打つ。昨年末、写真をカードにして配るよう指示したことが伝えられた。そのカードをカトリック教会でもらって、少年と「再会」した。「戦争がもたらすもの」と言葉が添えてある。

 長崎での撮影というが、日時や場所など詳細は分からず、少年も特定されていない。その後、どこへ消えたのだろう。

 だが考えてみれば、似た体験をした子どもはあちこちにいたのではないか。長崎や広島はもちろん沖縄やアジアの国々にも大勢いたはずである。そして残念ながら、今も世界各地に。

 紛争は絶えず、核兵器もなくならない。広島の平和記念公園では今日も子どもたちが手を合わせているがその姿に、ふと「少年」が重なって身震いする。

(2018年8月11日朝刊掲載)

年別アーカイブ