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社説・コラム

『潮流』 無駄な穴

■論説副主幹 宮崎智三

 戦後間もない全国巡幸で長野市を訪れた昭和天皇が案内役の知事に問い掛けた。「この辺に戦時中、無駄な穴を掘ったところがあるというが、どのへんか」

 軍部が極秘裏に山をくりぬいて造った「松代大本営」のことだ。徹底抗戦に備えて空襲を避けるため、政府の心臓部を東京から移せるよう、延長10キロを超す地下壕(ごう)を格子状に掘り進めていた。もちろん、天皇の居室も別の山を掘って準備していた。

 しかし使われないまま、「無駄」で終わった。73年前の8月、時の政府が広島、長崎への原爆投下やソ連の参戦などで、ようやく敗北を受け入れたからだ。

 田畑も残る長野市郊外の山に掘られた穴のうち約500メートルだけが公開されている。昨年秋に見学したが、想像以上の大きさだった。巨費を投じ、強制的に動員された人を含め朝鮮や日本の多くの労働者が人海戦術で昼夜を問わず作業した。

 「本土決戦の最後の拠点」と位置付け、9カ月間で8割程度を完成させたスピード感に、徹底抗戦に向けた軍部の本気度を感じるといった前向きな受け止めもあるそうだ。しかしむしろ、敗色濃くなっていた1944年秋に造り始めたことを含め、軍部の焦りや、先を見通せない愚かしさをより強く感じてしまう。

 もしも本土決戦に踏み切るなどで終戦の決断がもっと遅くなっていれば、兵士も民間人もさらに犠牲者は増えていただろう。日本が分断国家になっていた恐れも否定できない。「無駄な穴」はそもそも造る意味がなかった、とさえ言えるのではないか。

 見学コースの出入り口近くの寺には、作業中に亡くなった人の墓があった。しょせんは殺し合いとも言えそうな戦争までして守らなければならないものは果たして何なのか―。そんな疑問を頭に浮かべながら、そっと手を合わせた。

(2018年8月25日朝刊掲載)

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