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社説・コラム

『潮流』 マグロ塚

■東京支社編集部長 長田浩昌

 早朝の競り場。大きなマグロが横たえられている。ざっと数えただけで数十本はある。手かぎを持った仲卸業者たちが1本ずつ入念にチェックしている。開始の鐘。一気に活気づく。

 世界最大級の魚市場があり、「日本の台所」とも呼ばれる東京都中央区の築地市場。約2・3キロ離れた豊洲への移転を10月に控え、競りの見学に駆け込みで参加した。まさに目利きの戦場だ。外国人観光客に人気だったのもよく分かる。

 この築地でかつて、マグロが競りに掛けられることなく、敷地に埋められた。「原爆マグロ」―。1954年、太平洋・ビキニ環礁での米国の水爆実験で被曝(ひばく)した漁船「第五福竜丸」などが水揚げしたものだ。当時、各地の漁港で魚から放射線が検出された。日本中がパニックになった。

 「何が起こったのかを後世に伝えたい」。90年代後半、第五福竜丸の元乗組員大石又七さん(84)は築地市場に「マグロ塚」と刻んだ石碑を設置することを思い付く。講演先の小中学生を中心にした10円募金で約2トンの石を購入。自ら揮毫(きごう)して用意した。

 しかし、都は、汚染されたマグロの水揚げの歴史を記したプレートの取り付けだけを認めた。今、石碑は江東区の夢の島にある第五福竜丸展示館のそばに仮置きされたままだ。

 都内で暮らす大石さんを十数年ぶりに訪ねた。「マグロが埋められた場所に石碑を置いてほしい。放射能の恐ろしさを忘れないために」。数年前に脳出血で倒れて出にくくなった言葉を振り絞る。

 都は豊洲市場が開場する10月11日、築地市場の解体を始める。跡地は東京五輪の輸送拠点になった後、再開発される。大石さんが代表の「築地にマグロ塚を作る会」は都議会への請願を準備している。賛同署名は約5千人分。広がった願いが受け止められるといい。

(2018年9月18日朝刊掲載)

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