×

社説・コラム

『潮流』 新たな平和公園

■ヒロシマ平和メディアセンター長 岩崎誠

 「平和公園」があるのは広島市や長崎市だけではない。全国にかなりの数があり、公営墓地の名前とした自治体もある。この夏、愛知県東部の工業都市、豊川市に完成した一つは、まさしく平和への願いを込めた場所だろう。

 市が新設した「豊川海軍工廠(こうしょう)平和公園」に足を運んだ。工場が立ち並ぶ一角にある。この地には1939年から海軍の艦船、戦闘機で使う機銃や弾丸を大量生産する広大な施設があり、米軍空襲で動員学徒を含む2500人以上が犠牲となった歴史がある。

 公園は約3ヘクタール。遺構が残る海軍工廠跡地の一部を市が取得した。兵器生産や空襲の実態を伝える「平和交流館」もある。コンクリート造りの火薬庫。爆発に備えて土塁で囲む信管置き場。B29が落とした500ポンド爆弾の着弾跡…。遺構の迫力もさることながら目に付いたのは、子どもを遊ばせる家族連れの姿だ。

 公園の遺構部分以外は、広々とした空間だ。備え付けの遊具もある。看板によると花火やバーベキュー、野球・サッカーなどは不可だが、リードがあればペットを散歩に連れてきてもいい。若い市民がさほど戦争を意識しなくとも気軽に立ち寄れる憩いの場とした手法は興味深い。

 むろん平和公園としての理念は明確だ。豊川海軍工廠の空襲は45年8月7日。広島への原爆投下の翌日だった。それだけに豊川市は95年の「平和都市宣言」では足元の空襲と前後して日本が核の被爆国となったことを強調し、何より核兵器の廃絶を唱えた。新たな公園のパンフレットに、この宣言を全文、掲げていることを心強く思った。

 地域に残る「戦争遺跡」をどうするか。各地で議論が始まって久しいが、多くは手付かずで荒廃しつつある。保存を巡る自治体の温度差も大きい。単に遺構を残すだけでなく生かすためのアイデアが、もっとあっていい。

(2018年11月8日朝刊掲載)

年別アーカイブ