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被服支廠 平和学習拠点に 広島県 見学者用建物 新設

 広島市内で最大級の被爆建物「旧陸軍被服支廠(ししょう)」(南区)について、建物の一部を所有する広島県が大規模な改修案をまとめたことが4日、分かった。敷地内に新たな建物を建てて見学者が被爆証言などを聞く場所とするほか、車両の出入り口や駐車スペースも新設する。活用策が長い間、宙に浮いていた被爆建物は、被爆の実態を伝える平和学習の拠点としての役割が明確になる。

 県の改修案によると、見学者用の建物は、最も北側にある1号棟と、すぐ南隣の2号棟の間に建てる。広さ約130平方メートルの平屋で、説明用のスペースやトイレなどを備える。現在は市民団体が屋外で催している「被爆証言を聞く会」の会場としたり、修学旅行で訪れた小中高生が利用したりすると想定する。

 車両の出入り口は、1号棟と2号棟の間やその周辺にあるれんがとブロック製の塀を撤去して設ける。駐車スペースは、1号棟の北側に数台分を確保。車で訪れる人たちを受け入れる環境を充実させる。

 併せて、1号棟を集中的に補修する方針も盛り込んだ。6月以降、専門家の意見を聞きながら進めてきた工法調査に基づき、雨漏りするなど劣化が激しい屋根や外壁を補強する。雨水を敷地の外に流すための排水路も新たに整備する。

 一連の事業費は概算で3億8千万円を見込み、着工から完了までの工期は1年半程度と想定している。改修案を具体化するための財源の確保などが順調に進めば、2020年度には新たな姿を見せることになる。

 被服支廠の見学は現在、事前予約が必要。近年は被爆の爪痕を残す倉庫群に学ぼうと、主に修学旅行生の訪問が増加している。市民団体「旧被服支廠の保全を願う懇談会」の中西巌代表(88)=呉市=は「声なき被爆者である建物の歴史を広く知ってもらうための大きな一歩だ」と歓迎する。

 被服支廠は、旧陸軍兵の軍服や軍靴を製造する施設として1913年に完成した。県は00年、ロシア・エルミタージュ美術館の分館誘致の候補地と位置付けたが、06年に断念。その後は活用方針を示せないままだった。(樋口浩二)

旧陸軍被服支廠
 旧陸軍の軍服や軍靴を製造していた施設で、爆心地の南東約2・7キロに立つ。国内最古級のコンクリート構造物でもある。13棟あった倉庫のうち現存する4棟はいずれも鉄筋・れんが造り3階建てで、県が所有する3棟は延べ5578平方メートル、国が持つ1棟は延べ4985平方メートル。戦後、広島大の学生寮や県立広島工業高の校舎、日本通運の倉庫などとして利用されたが、1995年以降は使われていない。2017年度の来場者は1102人と、記録の残る07年度以降で最多だった。

(2018年12月5日朝刊掲載)

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