×

連載・特集

[インサイド] 被服支廠の活用 耐震化なお課題

広島県が平和学習の場に改修へ 民間と連携し集客策を

 広島市内で最大級の被爆建物「旧陸軍被服支廠(ししょう)」(南区)を巡り、爆心地に最も近い1棟とその周辺を平和学習の場とする改修案がまとまった。活用は長年、宙に浮いていたが、所有する広島県が方向性を定めた。一方で、内部の見学など本格的な活用は1棟約33億円とされる耐震化が欠かせず、現時点で検討は進んでいない。専門家は「民間を巻き込み、貴重な建物に人を引き付ける方策を考える時だ」と指摘する。(樋口浩二)

 爆心地から南東2・7キロ。高さ15メートル、幅91~105メートルの鉄筋コンクリート・れんが造りの4棟がL字形に並ぶ。かつて、陸軍が軍服や軍靴を造った被服支廠。完成は1913年と、被爆建物で世界遺産となった原爆ドーム(中区)と比べて2年早い。

国内で最古級

 建築関係者の間では、国内最古級のコンクリート建築物としての評価も定まる。しかし活用方針は、県が2006年にロシア・エルミタージュ美術館の分館誘致を断念して以来、白紙状態だった。

 転機は県が17年8月に始めた調査で、大地震には耐えられず、耐震化には1棟につき約33億円かかると判明した。これを受けて県は18年12月、当面は爆心地に最も近い1号棟を集中的に補修する方針を決めた。

 同時に見据えたのが、修学旅行生たちの受け入れ環境の充実だ。1号棟とその南側の2号棟の間に約130平方メートルの平屋を建て、被爆証言を聞くスペースとトイレを設ける。バスなどの出入り口や駐車場も造る。補修と合わせた総事業費は3億8千万円を見込む。

 県財産管理課は今回の工事を「建物の劣化を防ぎ、外側から見学できるようにするための最低限の措置」と位置付ける。耐震性がないと判明して以降、内部を見学できない状態は変わらない。来訪者が増えているのを踏まえて「財政支出が可能なライン」(県幹部)で改修するのが実情だ。

相次ぐ再生例

 市民グループ「アーキウォーク広島」(中区)の高田真代表は「巨大なコンクリートの屋根裏はほかに類がない。どうすれば、内部空間に身を置く貴重な体験をする場にできるか、官民で考える時だ」と訴える。

 加えて赤れんがの外観の価値にも着目する。街並みにレトロな雰囲気を醸し出し、芸術や文化の拠点などで活用する事例が、全国的に相次いでいるためだ。

 青森県弘前市は、酒造会社が使っていたれんが倉庫を取得。建設や不動産など民間8社と連携して、20年に美術館として生まれ変わらせる。横浜市の「横浜赤レンガ倉庫」は、市が国から土地と建物を取得。ビール会社など民間の資金も得て02年、商業・文化施設にリニューアルした。

 広島県の場合、被服支廠でエルミタージュ美術館の分館誘致を断念した後、どう本格的に使うのかについて学識者や民間企業を巻き込んだ検討はしていない。

 横浜赤レンガ倉庫の再生に関わった東京電機大の今川憲英名誉教授(建築構造耐震学)は、柔軟なアイデアをコンペで募るなど民間との連携で、多額の初期投資を回収できる枠組みを生み出せるとみる。「どうやって持続的に人を呼び込むかをまず固める。そうすれば、おのずと必要な補強策も見えてくるはず」と提言する。

旧陸軍被服支廠(ししょう)
 旧陸軍の軍服や軍靴を製造していた施設。13棟あった倉庫のうち4棟が残る。いずれも鉄筋コンクリート・れんが造り3階建てで、県が所有する1~3号棟はいずれも延べ5578平方メートル、国が持つ4号棟は延べ4985平方メートル。戦後、広島大の学生寮や県立広島工業高の校舎、日本通運の倉庫などとして利用されたが、1995年以降は使われていない。見学は事前予約制。2017年度の来場者は1102人と、記録の残る07年度以降で最多だった。

(2019年1月6日朝刊掲載)

年別アーカイブ