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「慰霊の広場」復旧進まず 豪雨被災 業者の人手不足

原爆犠牲者埋葬 似島島民ら世話

 多くの原爆犠牲者が埋葬された広島市南区の似島にある「慰霊の広場」が昨年7月の西日本豪雨で被災し、市による復旧がほぼ手付かずのままになっている。島内の各地で土砂崩れが発生し、業者の人手が足りないため。慰霊を続けてきた島民たちは早期の復旧を願っている。(木下順平)

 広場の一帯では2004年の市の発掘調査で、埋葬された85人の遺骨とベルトや名札など65点の遺品が出土した。遺骨はいずれも身元が分からず、埋め戻された後、住民たちでつくる似島地区コミュニティ交流協議会が14年、約2千平方メートルの国有地を広場として整えた。

 遺骨が多く見つかった2カ所には高さ1・5メートルほどの丘を整備。花壇を作り、似島小、中の児童生徒が「平和を願う塔」「しあわせを願う塔」と名付けた。

 しかし昨年7月の豪雨で裏山が崩れ、「平和を願う塔」などが土砂にのみ込まれた。住民たちがボランティアの手を借り、土砂や木を取り除いたが、まだ多くが残ったままだ。枯れた花も目立つ。

 「平和を願う塔」などの花壇には、子どもたちや島民がパンジーやスイセンなど季節ごとに花を植え、水やりや草刈りの世話を続けてきた。発掘調査に立ち合い、広場の整備に携わった同協議会の平田襄副会長(72)は「身元が分からない犠牲者を慰霊するのは地元で暮らす私たちの役目。早く元に戻してあげたい」と話す。

 市は、民家に近い土砂崩れ現場の復旧を優先させるため、広場の復旧は3月末となる予定。区地域起こし推進課の松本亜紀課長は「住民の思いは共有している。一日も早い復旧に努めたい」としている。

慰霊の広場
 1945年8月6日の原爆投下直後、広島市中心部から運び込まれて亡くなった死者を火葬した馬匹検疫所の跡地。近くにあった臨時野戦病院には推定1万人の負傷者が運び込まれた。火葬が追い付かず埋葬された。島民の要請で市が2004年に発掘調査をし、85人の遺骨と遺品65点が見つかった。遺骨の身元は現在も分かっていない。

(2019年1月8日朝刊掲載)

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