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社説・コラム

『想』 前田耕一郎 平和って?

 「他の誰にも同じ苦しみを味わわせたくない」。これは被爆者の言葉としてよく使われるフレーズです。「他の誰にも」には、原爆投下国や核保有国の人々も含みます。

 被爆直後は「仇(かたき)を」と思い定めていた被爆者が「自らの子や孫に同じようなことが起こらないようにしたい」と考え、「仕返しを、仇をといがみ合っていても憎しみを再生産するだけ。その気持ちを乗り越え、未来に向かっていかなければ。このようなことは誰にも起きてはならない」との思いに至りました。原爆被害を身をもって知る人々が自ら導き出した答えです。

 原爆は途方もない破壊と死をもたらし、かろうじて生き残った人々も後障害や差別、貧困などに苦しみました。原爆について考えることは、人権や飢餓、環境破壊などを考えることにもつながります。

 先日、被爆者を祖父に持つ料理人の方からこんな便りをいただきました。「政治的なことは分からないが、小さな争いごとが戦争につながると思う。私は怒りの感情を和らげ、軽減できる栄養素を含む食事を作っており、そんな料理を世界中の人が食べたら平和が実現するのにと願いを込めて仕事をしている」

 世にはさまざまな対立がありますが、一人一人が自分なりに平和について考えて対応できれば良いのにと改めて思います。

 平和とは日々安んじて暮らすことでもあります。生きるためには「喰(く)らう」ことが必要で、人間は他の生命を頂いていかなければなりません。そういう理(ことわり)の中で、人間と自然が調和して暮らしていくことを理念に掲げている町もあります。例えば広島県北広島町は、町の生物多様性を町民共有の財産として次代に承継し、自然と共生する健康で快適な生活を将来にわたり確保するための条例を制定しています。「多様な生態系や野生生物種からさまざまな恵沢を享受している」との考えからです。

 生あるすべてのものが互いを尊重しながら日々を送ること、これも平和ではないでしょうか。(広島県原爆被害者団体協議会事務局長)

(2019年1月9日中国新聞セレクト掲載)

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