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連載・特集

[つなぐ] ユニタール広島事務所職員 シャムスル・ハディ・シャムスさん=アフガニスタン出身

ヒロシマの力 紛争地へ

 国連訓練調査研究所(ユニタール)広島事務所で働くシャムスル・ハディ・シャムスさん(34)=東広島市=の存在感は、大きくなるばかりだ。戦争やテロが続くアフガニスタンを離れ、広島に来て10年以上になる。

 昨年12月、広島市中区の同事務所に、イラクの行政機関や大学などで働く20~30歳代の24人が集まった。復興を目指す国の将来を担う人材を育てる研修は3年目。シャムスさんは最初から携わる。「やり場のない怒りや挫折感を抱える彼らにとって、広島はとても大切な場所」と言う。

 混乱が続くアフリカの南スーダンからの研修生の受け入れも担当する。平和記念公園と原爆資料館を案内し、可能な限り被爆者や被爆2世と交流する場も設けている。

 原点には、家族の厳しい体験がある。祖国アフガンが旧ソ連の侵攻を受けた5年後、首都カブールで11人きょうだいの8番目に生まれる。行政機関や大学で働いていた父も共産主義政権の監視を受け、一家は隣国パキスタン北西部のペシャワル近郊へ逃れた。

 サウジアラビアの大学に留学していた長兄は米国の支援を受けた組織と一緒に戦い、アフガン東部でソ連軍の爆撃で死亡する。パキスタンに運ばれた遺体は焼け焦げ、片足がちぎれていたという。「兄は両親の期待を背負っていた。わが家にとって彼の死は重く、父が泣いている姿を初めて見た」と振り返る。

 難民生活を続けながら、シャムスさんはパキスタンの大学、大学院へ進んだ。しかし祖国は再び、激しい戦火に見舞われる。2001年9月の米中枢同時テロを受けた、米国主導のアフガニスタン戦争である。空爆とテロの応酬で泥沼化した祖国に戻って暮らすどころではなくなった。

 07年に来日。文部科学省の奨学金を得て広島大大学院国際協力研究科の博士課程に留学した。パキスタンの高校で原爆投下や核被害を学んだ時に「広島はどう復興し、人々は家族を奪われた悲しみや困難をどう乗り越えたのかを知りたい」と感じたからだ。

 広島に来て1週間後、初めて原爆ドームを間近に眺めて心を揺さぶられたという。「1945年8月6日の光景が浮かび、戦争で荒廃した祖国と重なった」。復興や紛争解決を学んで博士号を取り、12年にユニタールの職を得た。

 トランプ政権下でも米軍が駐留するアフガンの長い戦争は続く。一時、イスラム過激派も勢力を伸ばした。政府と反政府武装勢力タリバンとの和平交渉も道半ばだ。実家が残るアフガン東部のジャララバードでも自爆テロは絶えず、帰省は遠のいている。

 「紛争や貧困に直面した人びとに平和や再生力、自立というヒロシマのメッセージを広めたい」。ユニタールを志した思いは個人としての活動にも相通じる。佐々木禎子さんを題材にした絵本を母国語に翻訳して祖国に届けたこともある。広島で出会った日本人の妻や仲間とともに、この春、惨禍を生き延びた被爆樹木の絵本をアフガンで出版する予定だ。(桑島美帆)

(2019年1月28日)

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