×

連載・特集

溶融核燃料の除去模索 福島第1ルポ 立地の町 帰還準備も

 東京電力福島第1原発は廃炉の重要工程の入り口で模索が続いていた。原子炉建屋から使用済み核燃料を取り出す作業は遅れ、溶け落ちた核燃料(デブリ)の除去は見通せていない。事故から3月で8年。原発が立地し、全町避難が続く福島県大熊町では、住民や職員がようやく帰還の一歩を踏み出そうとしていた。今月上旬、日本記者クラブ取材団として訪れた福島の今を報告する。(新山創)

 1~4号機を見渡せる高台。1、2号機まで約100メートルの距離だったが、マスクや防護服が要らないほど放射線量は低かった。

 しかし1~3号機のプールには計1573体の燃料が残ったまま。取り出しの準備が最も進む3号機は、昨秋に実行しようとしたが今年3月に延びた。「事前の検査でクレーンなどの不具合があった」と担当者が説明する。当初計画の2014年から数えると4年以上も遅れている。

2号機で初接触

 1~3号機は廃炉で最難関とされるデブリを除去する必要がある。2号機では13日、東電が装置を使って初めてデブリに触れ、硬さを調べた。何号機から取り出すかはまだ決まっていない。廃炉は最長40年かかるとされる。

 2、3号機の間でバスから降りた。建屋周辺の線量は高い。壁の壊れた3号機に近づくと、線量計は高台の約3倍の毎時320マイクロシーベルトを示した。普段、生活する広島の約7千倍だ。がれきの撤去などで重機を遠隔操作する作業は今も少なくない。約5分でバスに戻った。

 敷地内には、おびただしい数のタンク群が広がっていた。地下水が燃料のある建屋に触れて出る汚染水は1日平均100~150トン。処理してタンクに詰める。約千トン入るタンクは1週間から10日で満杯になる。約千基あり、137万トンまで保管する計画だが、その先は未定だ。十分に希釈して海へ流す案も検討するが、漁業への風評被害も懸念される。

 行き場がないのは除染で出る汚染土も同じだ。21年度までに約1400万立方メートルが原発周辺の施設に貯蔵される計画。30年以内に県外で処分する決まりだが、最終処分地は定まっていない。環境省の担当者は再利用の技術開発などを念頭に「今は処分量を減らす検証が大事」と繰り返した。

 大熊町では復興の歩みが徐々に進む。人口約1万人の町は全町避難が続くが、5月に新庁舎で8年ぶりに業務を再開する。町外3カ所に分散する職員約100人が戻る。原発から約6キロ南西の復興拠点を訪れると、町役場や公営住宅を建てるつち音が響いていた。

公営住宅 抽選に

 50戸の公営住宅には60件の応募があり、抽選になった。6月ごろに避難指示が解除されれば、第1原発の立地自治体で初めて住民の帰還が実現する。小学生も1人いる。雇用の場をどうするか、農地で何を栽培するか―。課題は多いが復興事業課の志賀秀陽課長(59)は「一つずつクリアして、一人でも多くの人が帰る状況をつくる」と前を向く。

 住民が帰れない町で、住宅の見回りや草刈りを続ける元町職員が6人いる。通称「じじい部隊」。東日本大震災の2年後から事務所を設け、町の委託を受けて活動してきた。

 部隊の一人で事故時に総務課長だった鈴木久友さん(66)は「役場が戻る。これでようやくお役御免」とほほ笑む。かつては避難中の町民から「いつ戻れるのか」などと苦情を受け、何度も胸ぐらをつかまれた。当時の雰囲気を「人間の沙汰ではなかった」と振り返り、言葉を継いだ。「あの苦境を思えば何でもできる」

(2019年2月17日朝刊掲載)

年別アーカイブ