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連載・特集

[Peaceあすへのバトン] 「伝承者」を目指す 大河原こころさん

未来は私たちが変える

 相生橋から原爆ドームを眺めるのが好きです。自分が包まれ、励まされるようで…。広島に来た最初の頃はよく通いました。漫画が趣味で、この場所を舞台に20代の女性を主人公にした作品を描き、賞をもらったこともあります。あの日を知り、「フツー」に生きられる大切さを伝えたいと思っています。

 広島市の被爆体験伝承者を目指して研修中です。継ぐのは女学生の時に被爆した笠岡貞江さんの体験。両親を亡くしたつらさや生き残っても背負う苦しみを必死に伝えようとする姿に胸を打たれました。

 そんな私ですが、かつては原爆も災害も、すごく遠い世界のように感じていました。その考え方が変わったのが、8年前の3・11でした。

 福島県の山あい、田村市の出身です。あの日、郡山市内にいて地震に遭いました。道路は割れ、民家の瓦がばらばら落ちます。急に降りだした雪で不安が増し、車で自宅へ。幸い家族は無事でしたが、余震で落ち着きません。そのうち東京電力福島第1原発で爆発事故…。39キロ離れていますが「放射線」の言葉が現実味を帯びてきました。

 震災4日後の昼下がり、みんなでコーヒーを飲んでいた時でした。環境に関心の高い両親がチェルノブイリ原発事故(1986年)を機に自宅へ置いたガイガーカウンターから、いきなりアラームが。すぐに郡山市の知人の家へ自主避難しました。

 数日して帰宅すると、飲みかけのコーヒーがそのままでした。日常が急に中断された跡です。一人一人に家族があり、生活があり、大切なものがある。それが失われるのは悲しいと実感した日でした。

 翌月、ボーカリストを目指し1人暮らしする予定だった東京に1カ月遅れで向かったものの、なじめず4年半で離れました。沖縄、大分県湯布院のホテルや旅館で働きましたが、自分の住みたい場所と違う。広島に行こう。第二の古里と思っていたからです。

 広島に初めて来たのは14歳の時。8月の平和記念式典に参列し、漫画「はだしのゲン」の世界が目の前の光景と結び付いて心が沈みました。まだ東京にいた25歳の時も、式典に出て涙が出ました。焼け野原だった街を復興させるだけでも大変なのに、過去を忘れないようにしている。風化に苦しむフクシマが心に浮かび、力をもらいました。

 2016年に廿日市市宮島町の旅館へ。17年からは広島市内に移り、カフェで働き始めました。そんな時、インターネットで被爆体験伝承者の養成講座を見つけ「これだ」と思いました。広島に来た意味を見つけたようで、すぐに応募しました。自分たちの行動で未来は変わるかも―。そんな勇気を若い人と分かち合える伝承者になりたいです。(文・山本祐司、写真・藤井康正)

おおかわら・こころ
 福島県田村市出身。20歳で東日本大震災を経験。東京、沖縄、大分で働いた後、広島へ。被爆体験伝承者の養成講座を受けつつ描いた漫画「相生橋にて、君を待つ」は、にいがたマンガ大賞で優秀作品賞に輝いた。将来は自分のカフェを広島で開くのが目標。広島市西区在住。

 「あすへのバトン」は今回で終わります。

(2019年2月18日朝刊掲載)

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