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原爆の図「署名」 ゆかりの杉並へ 来月初展示 当時の担い手の娘も期待

1956年発表 原水爆禁止求める運動題材

 画家の故丸木位里・俊夫妻の連作「原爆の図」のうち、1954年3月の第五福竜丸事件を機に広まった原水爆禁止署名運動を題材にした「署名」が、運動発祥の地とされる東京都杉並区で来月、初展示される。地元有志の実行委員会には当時の運動を率いた鮮魚店店主の娘、竹内ひで子さん(76)も参加。「区民の声で社会を動かした運動の意義を見つめ、核廃絶の機運を高める契機に」と願う。(田中美千子)

 56年発表の「署名」はシリーズ第10部で、縦1・8メートル、横7・2メートル。子どもを背負った母親たちが署名する姿を描いている。

 54年3月、静岡県焼津市のマグロ漁船第五福竜丸がマーシャル諸島ビキニ環礁での米国の水爆実験で被曝(ひばく)した事件が報じられ、真っ先に動いたのは、客足が遠のいた鮮魚商だった。東京・築地で4月に500人以上の業者を集めた大会を開き、水爆禁止と損害補償を求める署名運動の開始をアピールした。

 大会を仕掛けたのは、杉並区で「魚健」を営んでいた故菅原健一さん。妻の故トミ子さんも、地元の女性団体の集いで署名運動を呼び掛けた。その六女として育った竹内さんは「両親は『やっと戦争が終わったのに、米国の兵器開発に市民の食生活が奪われるのはおかしい』との思いをよく口にしていた」と言う。

 杉並区では54年5月、各種団体、個人が「水爆禁止署名運動杉並協議会」を結成。2カ月足らずで27万人と、当時の区人口の7割分の署名を集めた。共感は日本中に広がり、署名は3千万人を超えた。55年8月、広島市での原水爆禁止世界大会開催にもつながった。

 竹内さんは現在、地元の市民団体に所属し、核兵器禁止条約締結を求める「ヒバクシャ国際署名」を集める。区内の芸術家上岡誠二さん(57)が発案した今回の展示計画を知り、実行委に加わった。「どんな社会を望むか、一人一人が考え、行動する大事さを感じてもらえれば」と意気込む。

 展示は3月4~9日、区社会教育センターセシオン杉並で。シリーズ第9部「焼津」も飾り、竹内さんや被爆者の講話も。300円で高校生以下無料。事務局☎070(6977)2247=斎藤さん。

(2019年2月18日朝刊掲載)

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