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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 福島の誤ったイメージ

■福島大助教 ウィリアム・マクマイケルさん
復興へ 正確な情報発信を

 福島第1原発が事故を起こして8年。いまだ廃炉は見通せないが、福島は復興へ徐々に歩を進める。ところが被災地を誤解し、中傷する言説が、今も海外の報道やネットに存在するという。福島大の国際交流センター副センター長で助教のウィリアム・マクマイケルさん(36)は、福島の誤ったイメージの払拭(ふっしょく)に努める。自他共に認める「カナダ人一の福島ファン」に現状と対策を聞いた。(論説委員・田原直樹、写真も)

  ―ゆがめられた情報ですか。
 「福島の情報は政府が統制している」「福島の魚で人が死んだ」というのが最近見つかりました。また海外の学会で私が福島から来たと言うとざわついて「放射能は大丈夫か」と後ずさりされたことも。あきれますが頻繁にあり、自分の中では「福島あるある」の一つですよ。

  ―8年たって復興が進んでもそんな受け止めですか。
 海外では忘れられたんです。悪いイメージのまま。事故直後は大々的に報じられたものの、報道が減り、やがてなくなったため、事故直後のひどい記憶が定着したのです。間違ったイメージの「地盤」に、風評という「地層」が重なり、ずっとそのままです。日本国内にも似たような面がありますね。

  ―誤った情報はいつから。
 事故直後からです。震災時、福島大にいた私は留学生たちの安否確認をしていました。やがて事故が発生。カナダの家族や友人は逃げろと言いましたが、福島市は安全だと、状況もつかめていたので逃げなかった。でも「福島市で原子炉が爆発した」「ゴーストタウンだ」などと誤報やデマが海外に流れました。愛する地をひどく言われて悲しくて、今こそ海外との「架け橋」になろうと決めたんです。

  ―架け橋ですか。
 幼い頃、3年間徳島県で暮らした時に読んだ新渡戸稲造の伝記マンガが原点です。「我、太平洋の架け橋とならん」と言って日本と海外を結ぶ姿に憧れ、カナダと日本をつなぐ仕事を志しました。海外に対する固定概念をなくし相互理解を深めようと、国際交流員として福島を巡りました。震災後、今度は逆に福島に対する海外の誤解をなくそうと活動を始めました。

  ―海外の学生を招き、県内を巡るプログラムですね。
 2012年6月に来た米国の大学の10人が最初です。出発前には「学生を殺す気か」と非難もあったようですが実現しました。相馬市などでがれき撤去をし、農家で話を聞いたほか、仮設住宅でのホームステイも。原発周辺を除けば安全だと、学生たちは身をもって確信したのです。福島の真の姿を知るには、実際に訪れて見聞きし、感じることが欠かない。それは日本の人も同じなんですけどね。

  ―以来、13回を数えます。
 初期は「福島を知る」がテーマでしたが、今は「福島の体験を自分の専門と関連付けてどう考えるか」。わが事と感じ、論文テーマにする学生が多く喜んでいます。その後、研究者となり、低線量被曝(ひばく)の研究には社会学的アプローチも必要と論じ、米国で表彰された人もいます。

  ―うれしい成果ですね。
 でも誤解やデマはまだ消えません。昨年、動画配信大手ネットフリックスの番組「ダーク・ツーリスト」が福島を取り上げました。富岡町を原発ツアーと称して訪れ、チェルノブイリより放射線量が高いとか、地元の食べ物を「被曝食材」だとか、許せないデタラメを言う。再生回数の多い番組なので、世界の大勢が誤ったイメージを持ったのではないか、心配です。

  ―ひどい内容です。
 削除を求めると「行政からクレームもないし、削除しない」と言う。国や県に問うと「かえって事を荒立てる」などと抗議に消極的です。そんな及び腰がデマを許し、さらには国内で福島県産品を避けようという意識につながりかねない。誤報をたださずに放っておく、あいまいな姿勢では風評被害もなくなりません。真実と正確な情報を毅(き)然(ぜん)と発信する態勢が必要です。

 バンクーバー出身。父はカナダ人、母は日本人。ブリティッシュ・コロンビア大卒。07年、福島県の国際交流員。10年から福島大で国際交流センター設立に携わる。海外の学生に第1原発視察や被災地での体験をしてもらうアンバサダーズ・プログラムには、これまでドイツ、中国など7カ国192人が参加。大学では経済経営学類の助教も務める。

■取材を終えて

 活動と語り口に福島愛を感じた。海外に流布する誤報をただす一方で、福島を正確に認識していない日本人に対するもどかしさも募らせているようだ。どれだけ関心を持って考えているか自問、反省した。県とともに「ホープツーリズム」構築へ、コース作りなどを進めているという。ぜひ参加したい。

(2019年3月6日朝刊掲載)

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