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社説・コラム

天風録 『節目の祈り』

 「広島では8月6日に追悼しますよね?」。当たり前と思っていたことを真剣に聞かれた。3年前、福島で取材した原発事故の被災者からの問い掛けである。戸惑いつつ「もちろん」と答えたのを覚えている▲その男性は、原発がある大熊町出身。避難先のいわき市は追悼式を3・11前の日曜に開こうとしていた。「自分たちがあの日を大切にしなければ、誰も大切にしてくれないはずだ」。男性は突然、声を上げて泣いた。掛ける言葉が見つからなかった▲主催者側には、散り散りに避難した住民が集まりやすいようにという配慮もあったようだ。それでも反発があり、翌年から3・11に開くようにしたという▲全域避難が続いていた大熊町は、今春初めて一部地域が解除になる。来年は町内で追悼式を開くことになるかもしれない。とはいえ、かつて住民が暮らした地域の9割以上は、バリケードで閉ざされたまま残る。自由に立ち入るめどはなお立たない▲古里の思い出が詰まった場所で手を合わせる。そんなことさえ、8年後のきょうもかなえることはできない。その悲しみは計り知れない。原発事故の爪痕はどれほど深いか。被災者だけに負わせていいはずがない。

(2019年3月11日朝刊掲載)

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