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連載・特集

[考 fromヒロシマ] 核なき世界 理想遠く オバマ氏のプラハ演説から10年

被爆地「再び関心を」「禁止条約 生かそう」

 米国のバラク・オバマ前大統領が「核兵器なき世界」に言及した「プラハ演説」から、もうすぐ10年。被爆地を大いに沸かせたが、この間米国が目標に向けて「有言実行」してきたようには見えない。原爆を投下し、今も世界を圧倒する核大国のトップが発したメッセージは、被爆地にどんな意義を与え教訓を残しているだろうか。(金崎由美)

 「あの日のつらい体験を語り継ぐ決心を固め、被爆者として新たな一歩を踏み出した時期。勇気をもらった気持ちだった」。広島市東区の被爆者、田中稔子さん(80)は振り返る。

 2009年4月5日、チェコの首都プラハの中心部。オバマ氏は、2万人を前に約30分間演説をした。「核兵器なき世界」のキーワードとともに、「Yes we can(私たちにはできる)」と語り掛けた。

 米国では、原爆が日本を降伏に導いたという自負と、核抑止力への信奉が根強い。そんな国のトップの発言を、被爆地は歓迎した。広島市の秋葉忠利市長(当時)は「オバマジョリティー」を提唱。「オバマジョリティー音頭」も考案された。被爆地訪問を求める気運も高まった。

 田中さんは今もオバマ氏の功績を評価している。同時に「大統領の一言で、世界中の人が原爆被害への理解を深めるわけではない。被爆者が体験を語り続けるべきことに変わりはない」。3年前に自宅を改装し、各国から体験を聞きに訪れる人を迎えている。約3500人に達した。

国際世論を喚起

 オバマ氏が大統領を退任してから2年が過ぎた。広島県被団協(坪井直理事長)の箕牧智之理事長代行(77)は「もはや核問題への関心はないのか」と問う。「演説後にノーベル平和賞を受けた以上、核兵器なき世界への努力はオバマ氏にとって重大な約束。現職時より自由な立場で、われわれと歩んでほしい」

 理想を語る姿とは裏腹に、臨界前核実験を強行し、核兵器の近代化を進めた一面もあった。「他国への核拡散はさせない、というのがプラハ演説の本音」といった批判も上がった。核保有国の不作為に業を煮やした非核保有国と市民社会は、核兵器禁止条約の実現へひた走った。

 もうひとつの県被団協の佐久間邦彦理事長(74)は「10年前との違いは、オバマ氏退任後に核兵器禁止条約が成立したこと。核兵器廃絶につながるツールを私たち自身が手にした。核大国のトップが誰でも、揺るがぬ姿勢で前に進む」。

 被爆地の悲願だった核兵器禁止条約だが、米国はオバマ政権時から一貫して反対だ。トランプ政権に交代し、米国はちゃぶ台返しのように核戦力の増強方針をあらわにしている。「それでも、私たちがプラハ演説から得たものは非常に大きかった」と中区のNPO法人ANT―Hiroshimaの渡部朋子理事長(65)は強調する。

 プラハ演説から1年後、赤十字国際委員会(ICRC)の総裁が核兵器の非人道性に言及する声明を発表。「世界に影響力を持つ人道組織が腰を上げた」と国際世論が歓迎し、核兵器禁止条約の実現につながっていった。「米大統領も核兵器をなくそうと言っているのだから、という共通認識の広まりは、かつてなかった。禁止条約は皮肉にも、プラハ演説の副産物では」と渡部さん。

責務感じる若者

 16年5月に広島訪問を果たしたオバマ氏は、原爆資料館をわずか10分間見学した。盈進高(福山市)で核兵器廃絶署名を集め続けた3年高橋悠太さん(18)は「被爆実態を学び取るのではなく、広島を自らの発信に活用しているようだった。オバマ氏の『核兵器なき世界』と被爆者の願う核兵器廃絶は、達成までの道筋が相当違うと思った」という。若い世代が、被爆者から渡されたバトンを手に「道筋」を歩む責務を感じている。

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広島市立大平和研 水本副所長に聞く

希望持ち発信継続を

 被爆地の軍縮の専門家の視点から、「プラハ演説」は10年前と現在、それぞれどのように見えるのか。広島市立大広島平和研究所の水本和実副所長に聞いた。

 あの演説全体をよく読めば、「核兵器なき世界」という理想と、「核兵器が存在する限り米国は核抑止力を保持する」などの現実的な内容が半々だ。被爆地は前者を、日本政府や米国内の保守派は後者をもっぱら読み取った。オバマ政権の思惑通りだった。

 「核兵器を使用した唯一の核保有国としての道義的責任」も同様。原爆投下という過去の行為に踏み込んだ発言に聞こえるが、前後の文脈との関係では「核大国として核不拡散へ行動する責任」と読める。「核兵器なき世界」も「私が生きているうちは達成しない」として自分の責任を回避できる表現だった。

 ノーベル平和賞授賞式では「必要な戦争」もあると言い、リアリストとしての姿を前面に出した。オバマ氏個人は高い理想を持っていると思うが、米国内世論を意識し、バランスを取ることが常に最優先だった。

 「核兵器なき世界」に注目するあまり、偶像を作り出した面はあろう。前任のブッシュ政権は核軍縮に後ろ向きだっただけに期待は高まった。しかし、包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准など、プラハ演説にある提言の多くは実現していない。米国は、議会の反発を受ければ大統領にできることは限られる。被爆地でも、もっとその辺を理解してよかったと思う。広島訪問も決して簡単なことではなかった。

 それでもプラハ演説は、リーダーが理想を語り、人々に希望を与える大切さを示している。初のアフリカ系の大統領として多様性と協調を説いた。被爆地が核兵器廃絶に込めた価値観と通じる。

 後任のトランプ政権では、イラン核合意からの撤退や中距離核戦力(INF)全廃条約の破棄通告などで世界を懸念させている。だが、逆ばねは必ず働くだろう。その時プラハ演説は、米国の良識派が「あそこに立ち戻ろう」という目標になる。被爆地は常に希望を失わず、メッセージを発信し続けるしかない。

(2019年3月25日朝刊掲載)

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