[歩く 聞く 考える] 第五福竜丸の新たな船出
19年4月3日
■第五福竜丸展示館学芸員 市田真理さん
中部太平洋のビキニ環礁で米国が行った水爆実験で、死の灰(放射性降下物)を浴びたマグロ漁船の第五福竜丸。広島、長崎に続いて核の恐ろしさを見せつけ、日本国内に原水爆禁止運動のうねりを呼び起こした。その船体を保存する東京都立第五福竜丸展示館(江東区)がきのう、大規模改修を終えて再オープンした。学芸員の市田真理さん(51)にリニューアルの意義や今後の課題を聞いた。(論説委員・藤村潤平、写真・浜岡学)
―元乗組員の大石又七さん(85)が語る映像を初めて流すことになりました。
証言を聞く機会が減る中で、船体の横で元乗組員の言葉を伝えるのは急務だと思っていました。2月に見崎進さんが92歳で亡くなり、生存者は4人。うち証言活動をしているのは大石さんを含めて2人しかいません。事件から65年となり、証言者がゼロになるまでのカウントダウンの響きがさらに大きくなったように感じます。
―外からは見られない船内の無線通信室などの3D映像も制作され、展示が充実しましたね。
展示も重要なのですが、館内の雨漏りや床の沈下で船体の状態を心配していました。前身のカツオ漁船第七事代(ことしろ)丸や廃船直前の東京水産大練習船はやぶさ丸の時代も合わせると、ことしで建造から72年になります。今回の改修で「100歳」まで耐えられそうです。
第五福竜丸は核時代の象徴であると同時に、日本で唯一現存する遠洋漁業の木造船としても貴重な証言者です。造船技術もしっかり見てもらいたいです。
―英語の説明も増えました。
海外向けの観光サイトで「穴場」と紹介されたせいか、外国人の来館が目立つようになりました。巨大かつ精巧な船体に対面すると「アメージング(素晴らしい)」という声が上がるのですが、これまで英語の説明が少なく、史実を十分伝えられませんでした。さらなる多言語化にも取り組まねばなりません。
―外国人を含めて、来館者は増えているのですか。
年10万人前後で横ばいです。しかし、来館者の顔触れは変わってきました。かつては核被害を学ぶために足を運ぶ平和運動や平和学習の団体が多かったのですが、最近は一見すると平和への関心が薄そうな若者や親子連れもよく訪れます。
―なぜでしょう。
大学生は宿題でリポートを課せられ、中高生は第五福竜丸を題材にした有名な吹奏楽曲の演奏イメージを膨らませるためという目的が多いです。親子連れは、近くでバーベキューをした後に寄るパターンですね。親御さんが幼いころ学校の遠足などで訪れた記憶があるようです。
―展示をしっかり理解してもらえるのでしょうか。
ぼんやりした印象でもいいのです。船がどーんとあることで心に突き刺さる。再び訪れるきっかけにもなります。館内には広島、長崎の写真集や被爆瓦も置いてあるので、熱心に眺めて帰る人もいます。ここに来て「広島って何だろう」とまで思ってもらえたら、種をまいたような気持ちになります。
―ビキニ事件から、どう想像を広げるかも鍵ですね。
第五福竜丸やビキニを強調しすぎると、こぼれ落ちるものがあります。高知県などから出漁して被曝(ひばく)した船は延べ900隻以上とみられています。米国の核実験はビキニ環礁があるマーシャル諸島だけでも67回繰り返され、死の灰は世界中に散らばりました。「ビキニの話ね」で終わらせてはいけません。
―具体的な取り組みは。
大石さんはいつも「ちゃんと怖がれ」「もっと怖がれ」と話します。死の灰を浴びても、それが何か知らずに同僚の久保山愛吉さんが半年後に亡くなり、自分たちも苦しめられてきた。核の怖さが凝縮されていて、聞くたびに胸に響きます。難しいことですが、その言葉は語り継いでいきたい。第五福竜丸を通じて核問題を考える入り口になると思うのです。
いちだ・まり
札幌市生まれ。出版社勤務などを経て、米国から原爆の記録フィルムを買い取る「10フィート運動」を提唱した「子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会」に参加。01年から現職。中央大と立教大で非常勤講師、国立民族学博物館の共同研究員も務める。著書に「ポケットのなかの平和」(平和文化)など。
■取材を終えて
来年夏の東京五輪では、展示館がある夢の島公園はアーチェリーの会場になる。園内のあちこちで工事が相次いでいる。五輪の会期の前後も含めて、国内外の多くの人が訪れるに違いない。被曝の歴史を刻む第五福竜丸には、原爆ドームと同様に圧倒的な求心力がある。「穴場」を超えた存在にしたい。
(2019年4月3日朝刊掲載)
元乗組員の言葉 響かせたい
中部太平洋のビキニ環礁で米国が行った水爆実験で、死の灰(放射性降下物)を浴びたマグロ漁船の第五福竜丸。広島、長崎に続いて核の恐ろしさを見せつけ、日本国内に原水爆禁止運動のうねりを呼び起こした。その船体を保存する東京都立第五福竜丸展示館(江東区)がきのう、大規模改修を終えて再オープンした。学芸員の市田真理さん(51)にリニューアルの意義や今後の課題を聞いた。(論説委員・藤村潤平、写真・浜岡学)
―元乗組員の大石又七さん(85)が語る映像を初めて流すことになりました。
証言を聞く機会が減る中で、船体の横で元乗組員の言葉を伝えるのは急務だと思っていました。2月に見崎進さんが92歳で亡くなり、生存者は4人。うち証言活動をしているのは大石さんを含めて2人しかいません。事件から65年となり、証言者がゼロになるまでのカウントダウンの響きがさらに大きくなったように感じます。
―外からは見られない船内の無線通信室などの3D映像も制作され、展示が充実しましたね。
展示も重要なのですが、館内の雨漏りや床の沈下で船体の状態を心配していました。前身のカツオ漁船第七事代(ことしろ)丸や廃船直前の東京水産大練習船はやぶさ丸の時代も合わせると、ことしで建造から72年になります。今回の改修で「100歳」まで耐えられそうです。
第五福竜丸は核時代の象徴であると同時に、日本で唯一現存する遠洋漁業の木造船としても貴重な証言者です。造船技術もしっかり見てもらいたいです。
―英語の説明も増えました。
海外向けの観光サイトで「穴場」と紹介されたせいか、外国人の来館が目立つようになりました。巨大かつ精巧な船体に対面すると「アメージング(素晴らしい)」という声が上がるのですが、これまで英語の説明が少なく、史実を十分伝えられませんでした。さらなる多言語化にも取り組まねばなりません。
―外国人を含めて、来館者は増えているのですか。
年10万人前後で横ばいです。しかし、来館者の顔触れは変わってきました。かつては核被害を学ぶために足を運ぶ平和運動や平和学習の団体が多かったのですが、最近は一見すると平和への関心が薄そうな若者や親子連れもよく訪れます。
―なぜでしょう。
大学生は宿題でリポートを課せられ、中高生は第五福竜丸を題材にした有名な吹奏楽曲の演奏イメージを膨らませるためという目的が多いです。親子連れは、近くでバーベキューをした後に寄るパターンですね。親御さんが幼いころ学校の遠足などで訪れた記憶があるようです。
―展示をしっかり理解してもらえるのでしょうか。
ぼんやりした印象でもいいのです。船がどーんとあることで心に突き刺さる。再び訪れるきっかけにもなります。館内には広島、長崎の写真集や被爆瓦も置いてあるので、熱心に眺めて帰る人もいます。ここに来て「広島って何だろう」とまで思ってもらえたら、種をまいたような気持ちになります。
―ビキニ事件から、どう想像を広げるかも鍵ですね。
第五福竜丸やビキニを強調しすぎると、こぼれ落ちるものがあります。高知県などから出漁して被曝(ひばく)した船は延べ900隻以上とみられています。米国の核実験はビキニ環礁があるマーシャル諸島だけでも67回繰り返され、死の灰は世界中に散らばりました。「ビキニの話ね」で終わらせてはいけません。
―具体的な取り組みは。
大石さんはいつも「ちゃんと怖がれ」「もっと怖がれ」と話します。死の灰を浴びても、それが何か知らずに同僚の久保山愛吉さんが半年後に亡くなり、自分たちも苦しめられてきた。核の怖さが凝縮されていて、聞くたびに胸に響きます。難しいことですが、その言葉は語り継いでいきたい。第五福竜丸を通じて核問題を考える入り口になると思うのです。
いちだ・まり
札幌市生まれ。出版社勤務などを経て、米国から原爆の記録フィルムを買い取る「10フィート運動」を提唱した「子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会」に参加。01年から現職。中央大と立教大で非常勤講師、国立民族学博物館の共同研究員も務める。著書に「ポケットのなかの平和」(平和文化)など。
■取材を終えて
来年夏の東京五輪では、展示館がある夢の島公園はアーチェリーの会場になる。園内のあちこちで工事が相次いでいる。五輪の会期の前後も含めて、国内外の多くの人が訪れるに違いない。被曝の歴史を刻む第五福竜丸には、原爆ドームと同様に圧倒的な求心力がある。「穴場」を超えた存在にしたい。
(2019年4月3日朝刊掲載)