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連載・特集

[考 fromヒロシマ] 記憶や感情 映し出す

原爆資料館 市民が描いた絵 今はなき「肉声」とどめる

 4月に展示を一新して再オープンした原爆資料館(広島市中区)では、被爆者が自らの思いを絵筆に込めた「市民が描いた原爆の絵」33点が本館で常設展示された。企画展も年末まで開催中だ。被爆から何十年間も脳裏に焼き付いていた記憶を描いた絵は、「あの日」を克明に記録するとともに、生き残ったことの苦悩や、死者を悼む思いが込められている。生きて体験を語ることのできる被爆者が年々減少していく現実の中、「絵」を通して受け継ぐべきものを考えたい。(桑島美帆)

 赤や黄が混ざった炎の渦にのまれながら「マキちゃん早く逃げテェー」と叫ぶ女性。そばで、小さな女の子が「おかあちゃんー!」と泣いている。原爆資料館本館の「魂の叫び」コーナーに展示された絵は、藤岡久之さん(86)=廿日市市=が描き、10年前に寄贈した。

耳に残るあの声

 鶴見橋(現中区)の東詰め付近で被爆し、市中心部の自宅へと逃げ惑う中、薬研堀(同)でこの親子に遭遇した。「お母さんが着物の裾を踏んで転び、炎に襲われた。マキちゃんのあの声が、耳に残っている」。絵の前に立った藤岡さんは、そう語り始めると涙ぐんだ。

 原爆資料館は、約1200人からの5千点以上の作品を「市民が描いた原爆の絵」として所蔵する。1974年に小林岩吉さん(当時76歳)がNHK中国本部(現広島放送局)に持ち込んだ1枚が反響を呼び、市民から2225点が寄せられた。2002年に再び募集されたほか、現在も個人による寄贈が続く。

 広島市は10年に策定した展示整備等基本計画で、「原爆の絵」を「被爆直後の被災写真や記録映像が少ない中で、被爆者が体験した個々の被爆の実相を伝える貴重な資料」と位置付けた。実物資料や写真とともに本館の常設展示を構成し、9点だった旧展示から33点に増えた。

 本館の「8月6日の惨状」コーナーでは、瀕死(ひんし)の負傷者の姿などを捉えたモノクロ写真と交互に「原爆の絵」の複製を配置。いわば「記録資料」として、むごい実態を伝える。修学旅行で訪れていた名古屋市の東海学園東海中3年、柴田裕馬さん(15)は「血がにじみ、皮膚がぐちゃぐちゃになった様子が想像できた。繰り返してはならない、という警告や願いも伝わる」と力を込めた。

 一方、東館では小林さんの原画を含めた75点の企画展が開催中で、被爆者一人一人の思いに焦点を当てている。月の夜空だけを描いた絵には「八月六日の夜は絵にも文章にも出来ない 全焼の臭ひと色は惨禍そのものでした」と言葉が添えてある。

体験語らずとも

 「絵を寄せた作者のほとんどが、被爆体験を周囲に語ることはなかった人たちだ」と学芸課の宇多田寿子課長補佐。「誰にもみとられずに息絶えた死者の存在を、生き残った者として懸命に描いた絵も多い」

 写真では、被爆当日の市民の惨状を捉えたもので、確認されているのは5枚。絵は「あの日」の実態を伝える貴重な資料である。同時に、被爆者個人の記憶と感情、脳裏に焼き付いた光景が映し出されている。つたない筆致の絵の数々に、つらすぎて描き出せない思いすらにじむ。

 特に74年当時に絵を寄せた人の多くは、子どもを原爆で失っていた親の世代で、いまや直接触れることのできない「肉声」だ。絵と向き合いながら、込められた思いを感じ取り、受け継ぐのは私たちの世代である。

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封印してきた苦しみ表現 広島市立大平和研 直野教授に聞く

 「市民が描いた原爆の絵」を研究する広島市立大広島平和研究所の直野章子教授(47)=写真=に、絵の持つ意義と将来に向けての課題を聞いた。

 ―「原爆の絵」にはどんな特徴がありますか。
 被爆から30年、あるいはそれ以上後になって、忘れてしまいたい記憶を苦しみながら思い起こし、描かれたものが多い。ほとんどは、偶然居合わせた犠牲者を描いている。

 ―それだけの年月を経ていたとは感じさせない絵ばかりです。
 あの日見た場面そのものよりも、心の中にある、死者とのダイレクトな関係を通して焼き付いた記憶を表現している。一人一人の顔を描き、子どものあどけなさも伝える。筆を入れては破り捨てた、という人も少なくない。絵で表現し切れない部分は、「合掌」といった言葉が添えてある。「せめて絵の中では安らかに」という鎮魂と供養の心だろう。

 ―1999年に調査を始め、約60人に聞き取りをしたそうですね。
 川で見た瀕死の女学生を描いた人は「こんな残酷な絵を描いてごめんね」と自分を責めながら、確かに存在した命を記録に残そうとした。ある女性は、救護所で独り息絶えた少年を描き「あの世で両親と再会を、と思いを込めた」という。私の心に重く残っている。作者のほとんどは、もうこの世にいない。

 ―原爆資料館での絵の展示をどうみましたか。
 当時のむごい光景を伝えている。しかし忘れてはならないのは、被爆者が絵筆を握ったのは、惨状をリアルに記録するためではないということ。封印してきた苦しみの表現である。その意味で、絵と写真資料を並べて「残酷さ」を印象付ける手法には違和感もある。展示の解説文を最小限にしているため、見学者が単に絵を眺めることにとどまれば、深く伝えるのが難しいとも感じる。

 ―被爆体験の継承、という側面から、絵をどう生かすべきですか。
 絵自体は声高に平和や核兵器廃絶を訴えていないものの、絵を描いたり、収集したりする営みは、一つの平和運動。現在と、未来を生きる人の心を揺さぶる、世界的に貴重な財産だ。原爆資料館のホームページなどに画像が掲載されてはいるが、膨大にある絵の実物が日の目を見る機会は少ない。展示方法を工夫した企画展の定期開催や、子どもが対象のワークショップも一案だろう。絵に託された被爆者の思いに、若い世代が心を寄せる場が増えてほしい。

(2019年6月17日朝刊掲載)

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