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記憶を受け継ぐ

『記憶を受け継ぐ』 益田アイさん―むごたらしい死 脳裏に

益田アイさん(89)=広島市安佐南区

万代橋のたもと 74年間近づけなかった

 「ハルヱちゃん、見つけ出してあげられなくてごめんね」―。先月、万代橋(よろずよばし)(中区)のたもとに立った益田(旧姓木村)アイさん(89)は、元安川を眺(なが)めながらつぶやきました。ここを訪(おとず)れたのは、いとこのハルヱさん(当時13歳)を捜し歩いた1945年8月以来、74年ぶりです。

 15歳だった益田さんは、広島市立第一高等女学校(市女、現舟入高)の4年生でした。仁保町(現南区)の家は、祖母、父親の3兄弟の家族を合わせて20人が同居する大家族。石炭販売としょうゆ造りをしていました。いとこ同士もきょうだいのように育ち、特に、市女に入学したばかりのハルヱさんは妹のような存在(そんざい)でした。

 8月6日は動員されていた軍需(ぐんじゅ)工場が休みだったため、益田さんは自宅でハルヱさんの服を縫(ぬ)っていました。突然目の前が明るくなり、不審(ふしん)に思っていると、ドーンとものすごい地響(じひびき)きがしました。

 爆心地から約5キロ。慌(あわ)てて外に出て市内の方を見ると、巨大な雲がもくもく上がっています。市役所へ行っていた叔父(おじ)は血だらけで昼すぎに戻(もど)ってきましたが、材木町(ざいもくちょう)(現中区)周辺の建物疎開(そかい)作業に出たハルヱさんは帰ってきません。8日の早朝、母と近所の人と一緒に捜しに出ました。

 段原町(現南区)のハルヱさんの友人宅で消息を尋(たず)ねた後、川沿いを歩いて中心部へ向かいました。比治山近くの川には真っ赤になった遺体(いたい)が浮かび、座(すわ)ったまま息絶えた2、3歳ぐらいの男の子の鼻の穴(あな)からうじ虫が湧いています。

 水主町(かこまち)(現中区加古町)の万代橋西詰めまでたどりつくと、辺りには腸が出て腐敗(ふはい)した男性の遺体や、全身が焼け、立ったまま亡(な)くなっている女学生の姿がありました。「みんなむごい死に方をして地獄(じごく)絵図を見るようだった」と振り返ります。

 その日は、夕方まで市内の救護所を訪ね歩きました。己斐国民学校(現己斐小)の教室や廊下(ろうか)は足の踏み場がないほどの負傷者や遺体で埋め尽くされ、宇品町(現南区)の広島陸軍共済病院(現県立広島病院の場所)の前には、50メートル先まで死体が山のように積み重ねられていました。

 ハルヱさんの遺骨はいまだに見つかっていません。一緒(いっしょ)に作業をしていた1、2年生540人とともに、猛火(もうか)の中、うめき苦しみながら力尽(つ)きたといいます。戦後に発刊された市女の追悼誌「流燈(りゅうとう)」には、即死を免れた生徒が死の床で母親に語った証言として「皆(みな)目の玉が飛び出し頭の髪や服はぼうつと焼けて、お父ちゃん助けて、お母ちゃん助けて、先生助けてと口々に叫(さけ)んで居(お)りました」と記されています。

 市女では生徒666人、教職員10人が犠牲になりました。10月に学校が再開すると、爆風に耐(た)えた本館の職員室をカーテンで仕切り、2クラスに分かれて授業をしました。卒業後はしばらく家業を手伝い、24歳で正雄(まさお)さん(92)と結婚。3人の子にも恵(めぐ)まれました。

 「もう一度ハルヱちゃんに会いたい」と思い続けながらも、義母を手伝って始めた農作業と子育てに追われ、自分自身の被爆体験を周りに語る余裕(よゆう)はありませんでした。遺体が散乱(さんらん)する光景が脳裏(のうり)に焼き付き、平和記念公園を歩くと体調を崩(くず)すことも。「なるべく近づかんようにした」と言います。

 90歳の「卒寿(そつじゅ)」を前に今年5月、同窓会で再会した友人に勧(すす)められ、初めて被爆体験を便箋(びんせん)に書き留めました。「贅沢(ぜいたく)もせず努力していた若い子がたくさん犠牲になった。生きていたら、いろんな人生があっただろうにと思います」と益田さん。「戦争のない平和がいつまでも続きますように」―。次世代に託す願いです。(桑島美帆)

私たち10代の感想

15歳の体験 心に深い傷

 小さな男の子や、立ったまま亡くなった少女などたくさんの遺体を目にした益田さんは「地獄のようだった」と話していました。15歳で恐(おそ)ろしい体験をし、今も心の傷(きず)は深いのだと思います。ツイッターや平和イベントを通して多くの人にこの事実を伝え、「二度とあの苦しみを体験させてはならない」という益田さんの訴えを広げていこうと思います。(高2及川陽香)

市女666人の未来奪う

 戦争が激(はげ)しくなると、市女では英語の授業がなくなり、学校は軍人の服を作る「工場」へと姿を変えました。みんな「日本は勝ち続けている」と信じ、原爆で666人の生徒が犠牲になったのです。益田さんの話から、私たちと同じくらいの年齢の人が突然、未来を奪われたことを実感しました。「今私たちにできることは何か」を問い続けていきたいです。(高2川岸言織)

 益田さんは一番仲の良かったいとこのハルヱさんを原爆に奪われました。「どうしてハルヱちゃんは死ななければならなかったのか」と今でも思っているそうです。なぜ罪のない人々の尊い命が奪われていくのでしょうか。これから私たちが伝えていかなければならないのは「益田さんのように悔しくて苦しい思いをする人が出ないよう、戦争をしてはならない」という思いです。(中1俵千尋)

(2019年7月1日朝刊掲載)

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