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社説・コラム

大下洋嗣社長に聞く 被爆建物で百貨店を営む重み/広島の財産 守らねば

 福屋の大下洋嗣社長(51)が中国新聞のインタビューに応じ、八丁堀本店の被爆建物保存と活用への思いや、今後の方針を語った。(桑島美帆)

  ―被爆建物である店舗を所有していることをどう受け止めてきましたか。
 原爆の熱線で一気に火が吹き込み、多くの方がこの建物で亡くなった。そこで私たちが百貨店を営み続けていることの重みを感じている。原爆ドームが時間が止まったように悲惨さを今に伝えているのに対し、福屋の本店は時間を止めることなく、原爆にも負けなかった広島の人と街のたくましさを伝えている。

  ―被爆建物に関する取材を受けるのは初めてだそうですね。
 かつては街の至る所に原爆の痕跡があり、あえてこちらから触れる必要がなかった。百貨店はお客さまが楽しんで買い物をする場所だから、という配慮もあった。しかし時代は変わった。特に広島市中心部の被爆建物が次々と消えていく中で、むしろ、原爆を乗り越えて今なお地域に愛されていることを発信すべきだと思うようになった。

  ―被爆したタイルや戦前の福屋の写真も、10月から店内に展示されます。
 「被爆」というより「被爆前からあった百貨店」という切り口になる。ここは当時から、映画館や商店が並ぶ一大繁華街。広島の人が被爆後も日々の生活を取り戻し、営んできたことを感じてもらいたい。平和記念公園では、被爆前の街の様子を残す動きが出ているが、八丁堀周辺についても大切な視点だと思う。

  ―ご自身も被爆2世ですが、社員に福屋の被爆体験をどう伝えていますか。
 毎年8月6日の追悼式で、当時の従業員68人のうち31人が犠牲になったことや、あの日の福屋の状況を伝えている。残念ながら関係者の多くが亡くなり、当時を知るには社史に頼らざるを得ないのが現状ではある。私たちは、戦争や原爆の経験者から直接体験を聞ける最後の世代。次世代へ伝えずに口をつぐめば途切れてしまう。3人の子どもにも「おじいちゃん(父親の龍介会長)の体験を聞きなさい」と話している。

  ―とはいえ被爆建物の維持は大変ではないですか。
 「被爆100年(2045年)」を社内的な目標に掲げ、耐震化を徐々に進めている。売り場の改装に合わせて壁を厚くしたり窓を壁にしたりしており、市からも補助金8千万円を頂き、10億円以上を投じる予定だ。維持費は膨らむが、この建物は福屋の財産というより広島の街の財産。できる限り守り続けなければならない。

 復興期に、屋上の遊園地や大食堂でご飯を食べることが楽しみだった、という声も聞く。時代に応じて建物の中身を変え、暮らしの温かさを演出し、憧れを感じてもらえる場所でありたい。

おおしも・ようじ
 慶応大大学院経営管理研究科修了。1998年福屋入社。広島駅前店食品部長などを経て、2000年取締役、08年5月から現職。広島商工会議所常議員。広島市安佐南区出身。

(2019年9月2日朝刊掲載)

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