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連載・特集

『生きて』 元広島市立大学長 藤本黎時さん(1932年~) <12> 大学への期待

研究・教育 より学際的に

 自らを顧みて、多感な時期に戦争と敗戦を体験した戦中派ゆえの懐疑主義は、抜き難くあります。「鬼畜米英」と言って軍国主義一辺倒だった先生が、戦後は急に民主主義を説く。信じることの危うさを身をもって知りました。

 でもそのことは、学問をする上では役に立ったとも思います。物事を客観的、相対的に見る姿勢の原点になったからです。

  ≪戦艦大和と海に沈んだ父の記憶も、心の痛みと共に糧としてきた≫

 ちょっと軍国主義的に聞こえるかもしれませんが、進水以来ずっと大和の乗組員で、最後の「沖縄特攻」まで運命を共にした父は、海軍軍人として幸せだったかもしれません。ただ、多くの人命を犠牲に差し出すような作戦に至った軍の上層部を許せないと感じますし、父は「英霊」などではない、とも思います。

 厳格でしたが温厚で、自分の考えを持ち、ユーモアの分かる父でした。私自身、ひ孫のいる年になりましたが、「父と酒を酌み交わしてみたかったな」と思う瞬間があります。

 懐疑主義者として、戦後の平和な時代も、いつかまた逆にひっくり返されるんじゃないかという不安は常に持っています。父の記憶、自分の体験を胸に、「戦前」に戻ることのないよう、伝えるべきことを伝えたいと思っています。

 ≪大学を離れて後も、子育て支援や食育の活動をするNPO法人などで活動する傍ら、高等教育へ思いを寄せ続ける≫

 広島大、広島市立大とも法人化され、私が在籍した時代とは運営形態がずいぶん変わりました。しかし、研究と教育とを両輪に、新しい知見で社会に貢献し、優れた人材を育てる役割は不変でしょう。

 私は主に詩の分野で文学研究に励みましたが、その過程でさまざまな出会いに恵まれ、音楽や美術への関心も深めることができた。他者への畏敬の念を育むような、学際的、横断的な研究と教育の試みに、とりわけ期待しています。=おわり(この連載は呉支社・道面雅量が担当しました)

(2019年8月16日朝刊掲載)

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