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社説・コラム

『記者縦横』 南方留学生を忘れない

■ヒロシマ平和メディアセンター 山本祐司

 最近マレーシアを身近に感じている。行ったこともないのにだ。その理由は一つ。戦時中にこの国をはじめとする東南アジアから広島を訪れ、被爆した若者たちの足跡を今年に入ってほぼ毎月、追っているからだ。「南方特別留学生」のことだ。

 マレーシア(当時はマラヤ)出身で、被爆後に帰国途中の京都市で命を落としたサイド・オマールさんの命日は今月3日だった。彼の生涯と原爆禍を伝えようと、市民がこの夏「語り継ぐ会」を発足させ、墓のある同市の寺で追悼式を営んだ。

 参列したかったが仕事でかなわず、この日夕、広島市中区大手町の「興南寮」跡に立ち寄った。彼らが暮らしていた、万代橋東詰め近くに碑が立つ。オマールさんを含め留学生3人がここで被爆した。そのうち同郷のニック・ユソフさんは大やけどを負い、五日市方面へ逃げたが息絶えた。

 碑の周りを掃除し、手を合わせた。なぜ自分がここまでするようになったのか―。振り返ってみれば、彼らを知る被爆者の女性から話を聞き、手紙や写真を見るうち、親しみという言葉では表しきれない感情が芽生えてきたのだと思う。

 マレー半島で旧日本軍は加害を繰り返し、留学生の存在は、日本政府の「人質」とも言われた。いつの日か現地へ行き、彼らが育った土地の空気を吸ってみたいと感じるようになった。実現した際には伝えたい。あなたたちのことを忘れていませんよ、と。

(2019年9月13日朝刊掲載)

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