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連載・特集

緑地帯 小田原のどか 彫刻を読む <1>

 「死に損ない」。長崎を訪れた横浜市の中学生が、被爆証言者に投げた暴言である。私が長崎に爆心地の彫刻や記念碑の調査に訪れるようになった2014年の出来事だ。当時この出来事は次世代への記憶の継承の困難さという面から報じられた。私は広島からも長崎からも遠く離れた場所にいるにもかかわらず、人ごとに思うことができなかった。

 私の祖父は東京・港区の青山霊園にある「解放運動無名戦士墓」に合葬されている。戦中、共産党員であった祖父は潜伏しながら政治活動に身を投じていたが、特高警察に捕まる。おそらく「無名戦士の子どもたち」はみな、戦時の全体主義の恐ろしさや拷問の様子を、繰り返し聞かされて育つはずだ。私もそうであった。

 人の生とは死を逸し続けていることだと捉えれば、すべての人間は原理的に死に損なっている。なぜ死ぬことなく、いま生きているのか。長崎へ調査に行くようになって原爆を生き残った方々に話を聞いた際、それをひたすら自問しているような印象を受け、衝撃だった。しかしそもそも人に「死ぬべきとき」などあるのだろうか。

 拷問死か思想転向かが迫られる獄中で、祖父は「転んだ」。なぜ死なず生き残ったのかという問いは私にとって大変に重い。なぜなら、祖父が転向し、死に損なったからこそ、私の生があるからだ。

 だから名も知らぬ少年の「死に損ない」という言葉を私は自分に発せられたものと受け止めている。(おだわら・のどか 彫刻家=東京都)

(2019年10月23日朝刊掲載)

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