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連載・特集

緑地帯 小田原のどか 彫刻を読む <2>

 資料館という仕組みを用いて、原爆の記憶をいかに継承していくか―。4月に原爆資料館(広島市中区)の展示がリニューアルされ、「被爆者なき後」という視点が重視された。戦争の記憶を直接持たない世代にいかに平和の思想をつないでいくのか。これらへの熟慮がうかがえた。

 展示には論争がつきものである。私が彫刻家として注目したひとつに、被爆再現人形をめぐる論争がある。彫刻とは元来、似せたものをつくること、再現することと切り離せない。資料館という記憶の継承の場において、彫刻の持つそうした機能が必要かどうか、人形論争はそれを問うていた。

 そしてもうひとつの原爆資料館、長崎原爆資料館の加害展示論争にも私は大きな関心を寄せてきた。長崎の展示リニューアルは1996年に行われたが、戦時の日本の加害を解説する「史実」として展示された写真資料が、とある「映画」から引用されていたことが発覚し、大きな物議を醸した。

 内容の不備は正され、加害を伝える展示は残された。このとき長崎において日本の加害を巡る歴史認識の対立が「原爆投下の正当化はどんな理由があっても許されない」という共通の理念のもと克服された事実を忘れてはならない。

 被害とともに、加害の記憶をどのように語るのか。「あいちトリエンナーレ2019」で話題を呼んだ「表現の不自由展・その後」をめぐる出来事によって、戦時日本の加害をめぐる世論の分断が可視化された。この分断という傷口の処方箋として、長崎での出来事を教訓として生かすべきだと強く思う。(彫刻家=東京都)

(2019年10月24日朝刊掲載)

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