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緑地帯 小田原のどか 彫刻を読む <3>

 佐々木禎子さんの死をきっかけに建立された「原爆の子の像」(広島市中区)。この彫刻がつくられた経緯は広く知られている一方、彫刻の作者についてはそれほど知られていない。手掛けたのは彫刻家菊池一雄だ。当時菊池は東京芸術大教授で広島とのつながりはなかったが、公共彫刻の作者として認知を得ていたこともあり、白羽の矢が立ったのだろう。

 菊池が手掛けた彫刻の中で特に重要なのは、東京・三宅坂にある「平和の群像」だ。3体による群像彫刻だが、全て女性の裸体像である。日本を代表する広告会社の顕彰碑との名目で建立された。

 「平和の群像」を見れば、彫刻に比べて台座が大きすぎることに気が付くだろう。それはこの台座が「再利用」されたことの証しでもある。1923年にこの台座が設置されたのは寺内正毅陸軍大将像を掲げるためだった。戦時の金属供出で台座は空になる。

 戦後、広告会社が空の台座に目をつけたのは、これが宣伝に使えると分かっていたからだ。戦時は騎馬像を掲げた台座に、平和という名の裸婦像が設置されたことは多くの新聞に取り上げられ、米タイム誌でも報じられた。

 軍国主義からの脱皮と表現されたこの彫刻の交代劇を広告会社は「今後の広告宣伝とタイアップの彫刻の街頭進出」と説明している。裸婦像が公共空間に無数にあふれる現在、この事実は話題に上ることもなくなった。けれども平和という名の裸婦像が担わされているもの、そしてその転換点には元々どのような彫刻があったのかを、忘れてはならないだろう。(彫刻家=東京都)

(2019年10月25日朝刊掲載)

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