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社説・コラム

『潮流』 ヒロシマの空白

■ヒロシマ平和メディアセンター長 吉原圭介

 筆者の祖母は長生きだった。亡くなる前日、病院でお別れをした。既に意識はなかった。「ありがとね」。そう声を掛けて頭をなでた。目を開くことはなかったが、かすかに口が動いたように見えた。

 人生の最期をみとられた人、みとることができた人は幸せだと思う。しかし1945年8月6日、誰にも看護されることなく命を奪われた人が大勢いる。名前も確認できないまま焼かれ、埋められた人がいる。

 その年の終わりまでに亡くなった人の数は「14万人±1万人」。被爆から30年以上がたった76年に広島、長崎の両市が国連に提出した文書でそう報告された。

 米軍による原爆投下まで家族に愛され、誰かを愛していた人々。名前があり、確かに人生があった。けれどプラスマイナス1万人という推計値でしかない。広島市の原爆被爆者動態調査で名前が分かったのは8万9025人。14万人とは5万以上の差がある。

 被爆から75年になろうとする今、まだできる調査はないのか。どうすれば原爆被害の実態に近づけるのか。そんな思いで連載「ヒロシマの空白」を先月下旬に始めた。

 生まれたばかりで名前がなく、墓石に「昭和二十年八月六日原爆死 享年 当才」とだけ刻まれた人がいた。一家が全滅し、原爆死没者名簿への記載を誰にも申請されていない家族もいた。幼少で独りになり、自分の名前も誕生日も分からない人は戦後、「推定年齢」で生きてきた。

 担当する記者は被爆者や遺族と向き合い、被害実態との「空白」を埋める努力をしている。行政が手掛けても四半世紀も分からなかったことを確認するのは至難の業だ。それでも地道に報告書を繰り、足を運ぶ。それは人々の尊厳を取り戻す取材だと思う。記事はウェブサイトにも掲載している。ぜひご一読を。

(2019年12月26日朝刊掲載)

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