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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 論説委員 藤村潤平 幻の「広島五輪」

理念の求心力 東京より上

 東京五輪が半年後に迫ってきた。意外とすんなり観戦できるのかもしれない。先日の2次販売では約50万枚が売れ残ったという。

 とはいえ、中国地方から行くなら宿泊が問題だ。都心のホテルは会期中は満室か、空きがあっても通常の数倍に高騰している。割安の民泊でも1室10万円を超すらしい。

 もし広島で開かれていたら―。夢物語に聞こえるかもしれないが、今回の五輪はその可能性もあった。

 10年前、広島市は開催都市への立候補を真剣に検討していた。当時の秋葉忠利市長が突然打ち出した構想に、市民や関係者の反発は強かった。広島市政を担当していた筆者も実現性を疑っていた一人だ。

 秋葉氏が市長を退任するとあっけなく幕切れを迎えた。検討段階で終わった最大の要因は、市民の間に賛同が広がらなかったことだろう。

 1年半に及んだ検討を見直すと、評価できる部分もある。限られた都市規模と財政の中から編み出された提案は、肥大化し続ける商業五輪へのアンチテーゼでもあった。

 そもそも最初の提案は広島、長崎両市の共催による「平和五輪」。核兵器廃絶を訴え、被爆地をまたいで行う五輪には「世界史的な意義」があるとの理念を掲げた。

 そこに日本オリンピック委員会(JOC)から横やりが入る。五輪憲章で「1都市開催」と定めているとし、難色を示した。広島市は単独開催の道を探ることになった。

 しかし「1都市開催」の原則は崩れている。昨年9月に決まった2026年冬季五輪は史上初めてイタリアのミラノとコルティナダンペッツォの2都市共催になった。東京五輪のマラソンと競歩も札幌に移った。暑さ対策が理由だが、複数都市開催の流れがあったからに違いない。

 五輪招致は近年、巨額の負担に伴う開催都市の財政悪化が懸念されている。住民の反対で招致レースを降りる都市も目立つ。危機感を募らせる国際オリンピック委員会(IOC)は、既存・仮設施設の活用も推奨し始めた。ミラノなどの計画は9割以上の会場が既存・仮設だ。

 広島五輪も全ての会場を既存・仮設施設で賄う計画だった。開会式などを行う広島ビッグアーチは2万人分の客席を仮設し、7万人収容にして使う予定になっていた。

 複数都市での開催や既存・仮設施設の活用は、広島五輪に先見の明があったと言えよう。

 先見性はインターネットを使った資金集めにも見られる。しかし目標の982億円はあまりに巨額過ぎる。クラウドファンディングという言葉が浸透した現在でさえ達成可能だとは思えない。

 つまり五輪は、財政力に富む首都クラスの大都市しか開けないことの裏返しに他ならない。24年の開催地を巡っても立候補した都市が次々と辞退した。残ったパリとロサンゼルスをIOCが逃すまいと次の28年と抱き合わせで決定した。

 どうすれば既存モデルを脱却し、多くの新しい都市が手を挙げられる五輪になるのか。その課題はIOCにこそ突き付けられている。

 幻に終わった広島五輪の検討費用は、人件費を含めると1億円を超える。批判があって当然だ。その中にレガシー(遺産)を探すなら、平和五輪の理念が持つ求心力だろう。

 北海道から沖縄まで200以上の自治体が「かつてない感動をもたらす」と賛同し、海外からも応援の声が届いた。大阪市や北九州市など25の自治体は開催計画の作成にも加わった。東京一極集中への対抗心もあったはずだ。他都市による招致では考えられないほど幅広い連携が生まれたことは間違いない。

 立候補する都市の先細りを考えれば、五輪の開催モデルはこれから変わらざるを得ない。依然として商業色が濃い東京五輪さえ終わっていないのに気が早いかもしれないが、あえて言いたい。次に日本で開かれるべきは、広島と長崎を含めて複数都市が関わる平和五輪ではないか。むろん市民の支持が何より必要だが、もう夢物語とは思わない。

(2020年1月23日朝刊掲載9

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