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ドームに光 支えた人々 中区の電気店に1956年撮影会準備の写真 電飾設置など22枚

 1956年に原爆ドーム(広島市中区)を電飾で彩って催された写真撮影会の準備作業を記録した写真が残されていた。中区流川町で電気店「峯野電気商会」を営む峯野博之さん(73)が保管していた。原爆資料館(同)によると、撮影会当日の写真は多く現存するが、準備風景のカットは珍しい。被爆11年後、ドームからの平和の発信を掲げた撮影会を支えた人たちを活写している。(田中美千子)

 写真は、博之さんの伯父で先代社長の峯野高義さん(95年に82歳で死去)がアルバムに残していた。全てモノクロで計22枚。はしごを掛けてドームに登り電飾を取り付ける作業員の様子や、眼下の市街地を背景に記念撮影する高義さんたちを納めたカットなどがある。「昭和31年5月25日―27日配線工事」と書き添えられている。

 撮影会は56年5月27日夜、カメラ店などでつくる組合が市などの後援で開催。当時の中国新聞は「平和の閃光(せんこう)」との見出しで「発光した一万個のフラッシュ・ランプは、原爆ドームをまばゆいばかり、くっきりと夜空に浮き彫りにした」と伝える。

 当時、「惨状を思い起こさせる」としてドームの存廃論議が続いていた。同資料館学芸課は「撮影会は、ドームが既に被爆地広島を代表するものとして市民に定着していた表れ」とみる。ドームを巡っては、66年に市の保存募金運動がスタート。96年には世界遺産登録された。

 写真の多くは高義さんが撮影したとみられる。博之さんは「先代はカメラ好きで、よく首からぶら下げていた」と振り返る。

 高義さんは、軍属として赴いていたフィリピンで捕虜として終戦を迎えた。郷里の広島に戻り、11人きょうだいのうち13歳の妹フミエさんの被爆死を知る。長男として家族を養うため戦前から続けていた電気工事の仕事を再開し、50年ごろ現在地に店を構えた。

 ドーム前の元安川で8月6日に灯籠を流す「流灯船」に電気を引き、スピーカーで読経を流す仕事にも長年携わっていた。「先代には、広島の大事な行事に貢献したいとの思いがあったのだろう」と博之さん。遺品のアルバムは店内で大切に守っていくという。

(2020年1月30日朝刊掲載)

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