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連載・特集

ヒロシマの空白 被爆75年 国の責任を問う <4> 「分断」にあらがう

空襲・原爆 共に被害者

援護拡大 訴え続く

 国は、原爆死没者への弔慰金支給などの要求に「空襲などの被害者との均衡を無視することになる」と背を向けた。一方で、空襲被害者に対しては「被爆者との均衡に欠ける」として補償を拒んだ。

 我慢と分断を両者にもたらしかねない国の対応にあらがい、民間の空襲被害者は、援護の間口を広げる「突破口」として被爆者運動に期待を抱いた。「被爆者援護法が通らなければ、私たちの援護法も通らない、というのが私たちの合言葉だったんです」。運動の先頭に立った杉山千佐子さん(2016年に101歳で死去)は、99年刊行の自伝にそう記している。

旧軍人ら手厚く

 名古屋空襲で負傷し、左目を失った。国が旧軍人・軍属らを手厚く援護しながら、同じく戦争で傷ついた民間の空襲被害者たちを放置していることに疑問を抱いた。72年に名古屋市で全国戦災傷害者連絡会を創設し、戦災障害者や遺族への援護を求めた。

 その年から毎年8月、広島・長崎に通った。当初は「被爆者の方が大変だ」と連携に後ろ向きな声も一部に受けながら、広島県被団協理事長を務めた故森滝市郎さんらと親交を深めた。眼帯姿でマイクを握り、国家補償としての被爆者援護法の実現を訴えた。

 79年から6年間、支援者として同行した東京都日野市議の有賀精一さん(61)は「国が被爆者と他の戦災被害者の間の『溝』を利用していた面がある。共に声を上げるべきだと強く思っていた」と振り返る。81年には被爆者団体と連名で、原爆と空襲双方の死没者への弔慰金を求める要望書をまとめ、国会に届けた。

 それだけに、94年に成立した被爆者援護法は「国家補償」の明記がなく、杉山さんを落胆させた。死没者への弔慰金支給などは盛り込まれず、民間の空襲被害者の救済に道を開くには遠い中身だった。

 杉山さんはその後、空襲被害者救済の立法化を目指して2010年に結成された全国空襲被害者連絡協議会(空襲連、東京)の顧問を務めた。現在は事務局次長の河合節子さん(81)=千葉市中央区=らが集会や街頭活動の先頭に立つ。

 5歳だった75年前の3月10日、東京大空襲で母と弟2人を奪われた。疎開先に大やけどを負った父が包帯姿で迎えに来た。皮膚移植のつらい手術に、援護の手は差し伸べられなかった。国が旧軍人・軍属らの恩給などに計50兆円以上を使ったことを思えば「不条理」な格差にやるせなさが募る。

超党派で後押し

 空襲被害者の援護法案は、過去に野党が中心になって計14回、国会提出したが廃案に。今回の法案は11年に発足した超党派の議員連盟「空襲議連」が動いている。空襲などで身体障害やケロイドが残った人に一人50万円の特別給付金を支給する法律の成立を目指している。遺族は対象外だが「一つの法律が次につながる」。被害の実態調査や追悼施設の設置も求める。

 「戦争は国家が起こした。被爆者にも空襲被害者にも慰謝の気持ちを表すのは当然だ」。会長を務める自民党の河村建夫元官房長官(山口3区)は、強調する。事務局長の無所属柿沢未途氏(比例東京)は「民間人が対象の法律ができれば、将来無謀な戦争を犯さないようにする抑止力にもなる」と話す。

 新型コロナウイルスの影響で3月27日の総会以降は活動を休止しているが、今通常国会で議員立法による実現を目指す方針は、変えていない。

 2月に国会内であった集会には日本被団協の被爆者が参加し、連携を誓った。今年は戦後75年の節目。立法を弾みに国が戦災の調査に乗り出せば、空襲や原爆の埋もれた被害実態、忘れられた命に光を当てる機会にできる。「戦争被害者」が声を合わせ、国の責任を問う訴えは続く。(河野揚、水川恭輔)

(2020年5月23日朝刊掲載)

被害の全て 償われたか

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ヒロシマの空白 被爆75年 国の責任を問う <4> 「分断」にあらがう

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ヒロシマの空白 被爆75年 国の責任を問う <6> 原爆症認定

ヒロシマの空白 被爆75年 国の責任を問う <7> 内部被曝

ヒロシマの空白 被爆75年 国の責任を問う <8> 被爆2世

ヒロシマの空白 被爆75年 国の責任を問う <9> 禁止と廃絶

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