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連載・特集

レストハウス 新たな一歩 改修完了 1日再オープン

展示室充実/外観 建設時に近く

 爆心地から南西約170メートルの至近にある被爆建物で、国内外から広島市を訪れた観光客の憩いの場となるレストハウスが1日、中区の平和記念公園で再オープンする。改修工事のために2018年2月から休館しており、約2年半ぶりの開館となる。外観は1929年の建設当時に近い姿へ復元。内部は観光案内所だったレストハウスの機能を引き継ぎつつ、原爆で壊滅した旧中島地区のかつてのにぎわいや、被爆建物としての歩みを伝える展示などを整えた。新たなレストハウスの特色と、建物が歩んできた歴史を紹介する。(明知隼二)

 レストハウスは、市の被爆建物としては原爆ドーム(中区)に次いで2番目に爆心地へ近い。鉄筋地上3階、地下1階建て延べ1011平方メートル。観光客が一息つく憩いの場として、また米国の原爆投下により破壊された一帯の歴史を学ぶ施設として再スタートする。

 改修では、外観を建設当初の「大正屋呉服店」に近づけたという。外壁は薄いだいだい色で、タイルなど一部は当時の素材をそのまま生かした。戦後、屋上に加えられた三角屋根は、元の平屋根に戻した。館内の3カ所では、焼けた天井跡などの痕跡を見学できる。

 1、2階はレストハウスとしての役割を継ぐ。1階では観光案内と、特産の食品や工芸品の販売を手掛ける。2階は休憩・喫茶ホールで、19歳で被爆死した河本明子さんが愛用した被爆ピアノを常設展示する。

 3階は、商店や住居が集積した旧中島地区のかつての姿を知る展示室となる。戦前の写真などを紹介し、1発の原爆が奪った営みの尊さを来館者に感じてもらう。被爆証言などに使える多目的室もある。

 市は2018年2月からレストハウスを閉館し、改修を進めてきた。想定と比べて建物の傷みが激しく、壁の増設などで補強した箇所もある。事業費は9億4100万円。建物の南側にはバリアフリー化のため、エレベーターとトイレを備えた別棟(延べ約360平方メートル)を増築した。

呉服店が燃料会館に 建物の歴史

 レストハウスは1929年、大正屋呉服店として建った。モダンな外観は、市内有数の繁華街だった当時の中島本町でもひときわ目を引いたという。2016年公開のアニメ映画「この世界の片隅に」でも、クリスマス時期の一帯のにぎわいとともに描かれている。

 呉服店は43年、国の統制令などの影響で廃業。被爆時は県燃料配給統制組合が使用する「燃料会館」だった。原爆の爆風で破損し、続く火災で全焼した。

 ただ建物本体は、爆心地から至近だったにもかかわらず残った。設計は、堅固なコンクリート建築を数多く手掛けた増田清(1888~1977年)。増田による当時の広島市庁舎、本川国民学校(現本川小)の校舎もまた被爆に耐え、戦後も長く利用された。

 燃料会館は戦後、屋根の掛け替えをはじめとする改修を重ねながら、被爆建物として平和記念公園にその姿をとどめた。57年からは市の東部復興事務所、82年からはレストハウスとして活用されてきた。

 92年の元安橋架け替えでは解体論が浮上した。建物が古くなった上、拡幅される歩道の延長上に位置したためだ。最終的に市民の保存運動などで見送られ、元安橋西詰で狭まった歩道が名残をとどめている。

地下室で被爆 ただ一人助かる 野村さんの体験を紹介

 リニューアルのポイントの一つが、爆心地から170メートルにありながら、被爆時に近い状態で残る地下室を生かした展示だ。その場で被爆し、奇跡的に助かった野村英三さん(写真・1898~1982年)の体験を、本人の手記や絵、戦後の写真などで紹介している。

 県燃料配給統制組合の職員だった野村さんは45年8月6日、地下室で書類を探していた時に被爆。建物内にいた37人のうち、助かったのはただ一人だった。当時の様子を、広島市が50年に発行した「原爆体験記」に寄せている。

 「ドーンという可なり大きな音が聞えた。とたんにパッと電灯が消え真暗になった」「奥の方から闇をついて、助けてくれーと男の声だ。その声が続いて聞えてくる。そして直ぐ泣声にかはった。オオーン、オオーン、と」

 1階への上り口はがれきなどでふさがれ、水道管の破裂により足元から水が迫った。「地下からどうやって抜け出したのか分からん。偶然に助けられた。おやじは口癖のように、そう言っていました」。次男の英夫さん(85)=中区=は、父の記憶の混乱から「あの日」の恐怖を推し量る。

 展示室には、野村さんが自ら描いた「原爆の絵」も並ぶ。両手を宙に突き出し元安橋に倒れていた丸裸の男性、猛火の中で川の水を巻き上げる竜巻―。野村さんが目撃した「あの日」の光景の断片を伝える。

 野村さんは手記を「三十六名の霊」にささげてもいた。「展示はおやじのためだけじゃない」と英夫さん。多くの人が建物の背負う歴史と向き合い、理屈ではなく感性で戦争を否定してほしいと願っている。

(2020年7月1日朝刊掲載)

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