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連載・特集

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <5> 「原爆資料編」

悉皆調査に努め解題も

  ≪資料233点、1080ページ余の「広島県史原爆資料編」は1972年に発行される。84年に全27巻で完結する県史第1巻でもあった≫
 県として初の本格的調査でオリジナルな公文書や日誌などを収集し、惨禍の実態を掘り下げました。図書館で手にしてもらえれば浩瀚(こうかん)さも分かると思います。

 防空・疎開対策など「戦争末期の防衛体制」▽45年8月6日から県職員が付けた「広島市空爆直後ニ於ケル措置大要」の全文、周辺町村を含めた救護や学校の状況など「原爆被災の記録」▽呉鎮守府の極秘報告、8日に入った大本営など「原爆調査団の活動」▽「原爆に対する国際的反応」▽占領期から始まった「平和への努力」と5部から成ります。4千部を発行しました。

 全体の解説は、資料編を率いた今堀誠二さん(当時は広島大教授)が書かれた。県史編さん室による資料解題は、ハワイ移民の研究者となる児玉正昭さんと手分けして執筆し、収録できなかった資料の所在目録や年表の作成にも当たりました。

 下っ端がこなせたのは、先輩の薫陶から。後に「広島藩」を著す土井作治さんにはよく怒られ、全てに当たる悉皆(しっかい)調査の大切さも教えられました。各市町村役場や所蔵者を訪ねて回りました。原爆で県庁文書は失われたとされていたが、旧安芸・佐伯郡などで県の通達や収容名簿類も確認できた。広島市が毎年夏に行う「原爆罹災(りさい)者名簿」公開にも生かされます。

 「とにかく原資料を」。それが今堀さんの編さん方針であり、本質的な事柄を把握する力にたけ、熱意もすごかった。米国議会図書館や大英博物館とつないでくれ、原爆投下直後の米大統領声明、欧米各有力紙の報道を詳しく盛り込みました。

 しかし、原爆体験記の収録には否定的でした。庶民の視点に光を当てたい、私なりの考えがあった。今堀さんは、「原爆資料編」に収めた49年の「平和擁護広島大会宣言」で議長団を務めたように、占領下時代から運動家とも深く付き合った。いわば最先端の人や動きに着目して「原水爆時代」を書かれた。現代史の古典とみなされています。そこからは浮かび上がってこない史実をすくい上げることが、私のヒロシマ研究にもなっていったと思います。

(2020年7月21日朝刊掲載)

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <1> 研究半世紀

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <2> 中学3年

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <3> 国史学専攻

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <4> 県史編さん室

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <6> 自主研究会

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <7> 原医研移籍

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <8> 内地研究員

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <9> 「資料調査通信」

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <10> 収集の哲学

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <11> 助手13年

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <12> 原爆手記

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <13> 朗読劇

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <14> 単著の通史

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