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連載・特集

小川洋子さんと読むアンネの世界 <下> 10代の君へ

書くことで救われた

幸せは増し 悲しみはユーモアに

 作家の小川洋子さん(58)=兵庫県西宮市=は14歳で「アンネの日記」と出合い、自身も日記を付け始めたという。「自分の中身を一回外に出して、スケッチするみたいな感じ」と振り返る。書くことで冷静に心の中を見つめ、時に癒やされ、救われてきた。そんな小川さんから、10代の君たちへのメッセージを届ける。(聞き手は鈴中直美)

 本はいつもそこで待ってくれていて、出合うべき時に出合うようできていると思います。本を読まない人生も否定しませんが、常に枕元に大事な本が2、3冊ある人生はいいですよ、と言いたい。一生の中で、この本は絶対に私のために書かれたんだって思える本。私にとって、それはアンネの日記ですね。

 アンネの果てしなく続く「言葉の空」に衝撃を受けた私は、彼女のまねをして日記を書き始めました。町におしゃれな雑貨店なんてなかったから日記帳はコクヨの大学ノート。それでも秘密を持っているようでとても満足していました。

 日記を書いていて気付いたのですが、書いている間は冷静になれるんですよね。親とけんかして、もやもやした渦中にいては書けないです。気を静めて言語化していくうちに「自分は間違っていない」と確認できてすっきりします。私の場合、ものを書いたり読んだりすることで自分と会話していたのです。

 今の子どもたちは友達とLINE(ライン)などでやりとりするから、私の子どもの頃よりものを書いている気がします。ただ、それは自分を表現するというよりむしろ、誰かとのつながりを保つための装置にすぎません。日記というアナログなノートだと言葉の先にいる人とつながる必要はない。だから息苦しくなることもなく、自由に自分を表現できるのです。

 ちょっとした幸せでも文章にするとその度合いは倍増し、悲しみはユーモアに変えることができます。つらい時、他人に何とかしてもらおうと思うと大抵うまくいかないんです。「こんなに不幸なの」と泣きついても救われたためしがない。足蹴(あしげ)にされることもある。そんな時に自分を慰められるもう一人の自分を、どうつくるかです。泥沼の渦中でもがいている自分を脇に立って静かな声で慰める。そういう自分をつくるために言葉というものは非常に重要な役割を果たしていると思います。

 アンネの日記と出合って、私は大切なお友達を得たような気持ちになりました。「人生とは何だろう」「自分はなんて醜いんだろう」などという思春期特有の答えのない問いを、一緒に共有できる初めての友達です。答えは出ないけれど、日記に書くことによって考え続けることができる。書いて、考え続けることで自分は救われているということを、アンネが教えてくれました。

(2020年7月27日朝刊掲載)

小川洋子さんと読むアンネの世界 <上> 言葉の空

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