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連載・特集

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <9> 「資料調査通信」

聞き書きにのめり込む

  ≪「資料調査通信」の発行を1981年に始め、収集情報を紹介する≫

 広島大霞キャンパス(広島市南区)の原爆被災学術資料センターに出勤すると、地元の中国、朝日、毎日、読売、郵送で届く長崎新聞の5紙をチェックし、秦野裕子事務官が記事を切り抜き台紙に貼る。「被爆問題」「核実験」など各テーマに分類した新聞資料は、90年末には9万件近くになります。文献目録は、内田恵美子事務官が作成しました。手記は自費出版が多く内田さんも目配りした。漫画「はだしのゲン」の購入を兼務でセンター長に就いた教授が問題にした折は、重要性を私に代わって懸命に説いてくれました。

 「資料調査通信」は、本の寄贈者らに何かお礼を、と考えて始めたわけです。研究費に乏しいので初期は手書きでした。彼女らがいなければ決して続かなかったでしょう。

 「紙の碑を残したい」と応じられた、藤居平一さん(15~96年)の聞き書きに私はのめり込んだ。原爆被害者への国家補償を「まどうてくれ」と表した藤居さんの考えを「資料調査通信」第5号(81年12月)から第29号(84年1月)まで断続的に掲載します。録音は120分テープで60本を数えました。

 ≪藤居氏は、原爆で父と妹を失い、家業の銘木店の再建に当たり市民生委員に。56年5月結成の広島県原爆被害者団体協議会で代表委員、続く8月結成の日本原水爆被害者団体協議会で事務局長を担う≫

 広島での55年第1回原水爆禁止世界大会の引き受けや、被爆者の切実な要求を取りまとめて57年の原爆医療法につなげたことなどを舞台裏を交えて語られた。人の悪口は私と違って言われません。母校のアカシア会(現広島大付属中・高同窓会)や早稲田大ゆかりの官僚らにも働き掛け、原水禁運動で論陣を張った石井金一郎さん(67年、45歳で死去)、物理学の庄野直美さん(2012年、86歳同)ら研究者を活用した。「原爆に生きて」(53年刊)を編さんした山代巴さん(04年、92歳同)を褒め、生活に困っている人がいると陰で支えられた。

 晩年は「外国人被爆者の援護がやり残した仕事だ」。人や絆を大事にして地元と世界を見つめる姿勢は、学ぶところが今も大いにあります。

(2020年7月25日朝刊掲載)

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <1> 研究半世紀

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <2> 中学3年

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <3> 国史学専攻

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <4> 県史編さん室

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <5> 「原爆資料編」

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <6> 自主研究会

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <7> 原医研移籍

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <8> 内地研究員

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <10> 収集の哲学

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <11> 助手13年

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <12> 原爆手記

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <13> 朗読劇

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <14> 単著の通史

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