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連載・特集

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <14> 単著の通史

詳述した重層的な営み

  ≪研究の集大成でもある「ヒロシマ戦後史」の上梓(じょうし)に取り組む≫

 学生に文化史から原爆ドームも取り上げる「世界遺産教育」にやりがいを覚え、広島女学院大の若い先生方にも刺激されました。神経をすり減らす入試部長も務めた。ただ、これ以上続けると、ライフワークに取り掛かる時間がなくなってしまう。定年前の2011年に辞めました。

 ヒロシマの歩みを1冊にまとめてみてはどうか。岩波書店にいた大塚茂樹さんからの提案でした。「戦後日本第4巻」(95年刊)で「被爆体験と平和運動」を引き受けた折、東京の有名な研究者の誇り高き態度にへきえきさせられ、もう岩波とは付き合わんと思っていました。ただ、彼は若い頃から原爆の問題を追う編集者でやりとりが続いた。やはり人間関係は大事ですよね。

 政治・社会学的な視点からのヒロシマ論評は、それはそれで貴重だとは思います。しかし歴史家の端くれですから、物事を絶対視するのではなく相対化してみる必要がある。いざ書き始めると、また今堀誠二さんの「原水爆時代」を乗り越えようと思うと、苦しいやら情けないやら。脱稿までには3年がかりでした。

 ≪本文339ページに年表・索引15ページ。「ヒロシマ戦後史」は2014年、2500部が発行された≫

 資料に基づいて論じ、各人の発言も紹介することに努めました。若い世代が批判するに当たっても、過去の人たちがどう思っていたかを知る辞書的な価値はある。そう思っていますが、評価は読者に委ねます。

 原爆被害者自らが声を上げて原水爆禁止運動は広がり、政治のエゴから運動が分裂しても、戦争被害の受忍を唱える国にあっても、訴えは引き継がれた。運動には距離を置いた人たちの活動や海外からの働き掛け…。さまざまな営みが積み上がって、ヒロシマは形成されてきた。批判もしてきたが市や県の援護・平和行政、最近は中身が薄くなっているとはいえ原爆報道も担ってきた。

 原爆症も核兵器も依然として続いています。原爆は過去ではなく現在の問題です。「庶民の歴史を世界史にする」。藤居平一さんの言葉をさらに継承しようと開設したのが、「ヒロシマ遺文」のサイトです。

(2020年8月4日朝刊掲載)

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <1> 研究半世紀

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <2> 中学3年

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <3> 国史学専攻

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <4> 県史編さん室

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <5> 「原爆資料編」

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <6> 自主研究会

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <7> 原医研移籍

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <8> 内地研究員

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <9> 「資料調査通信」

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <10> 収集の哲学

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <11> 助手13年

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <12> 原爆手記

『生きて』 ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年~) <13> 朗読劇

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