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被爆前 歓楽街の日常 広島市小網町の写真や資料発見 祖父母がカフェ 山本さん寄贈へ

 原爆で壊滅した広島市小網町(現中区)の歓楽街の戦前の様子を伝える写真や資料が見つかった。祖父母が「カフェー ツシミ」を経営していた山本正一さん(80)=安佐南区=の母の遺品の中にあった。市公文書館に近く寄贈する。(桑島美帆)

 カフェは1935年ごろ、山本さんの祖父母の角田佐織さんとヲシュンさんが開店した。店の名は祖父の故郷、都志見(現広島県北広島町)に由来。昼は食堂、夜はキャバレーを営んだが、戦争末期には営業が難しくなっていたという。爆心地から約850メートルにあった店は焼け落ち、建物の近くにいた兄邦明さん(当時9歳)や、消防団活動に出かけていた祖父が亡くなった。

 生き残った家族は戦後も小網町で暮らした。2年前に山本さんの実家を解体する際、亡き母が被爆前のアルバムや店の資料を保存していたことが分かった。小網町関連の写真は約10枚あった。着物姿の従業員と祖父母が並ぶ開店時のカフェ、客が談笑する店内や一家が暮らしたカフェ2階での家族写真。30年代に結成された「南組小網町国防婦人会」の記念写真もある。

 「廣島小網町 壽(ことぶき)座前」とカフェを宣伝したモダンなデザインのマッチ箱や、「頼母子講(たのもしこう)」の台帳なども残っていた。資料を分析した前市公文書館長の中川利国さん(62)は「小網町の資料は原爆で焼けてほとんど残っていない。商売をしていた庶民の暮らしの一端が見える」と話す。

 山本さんは「兵隊さんがたくさん来店し、にぎやかだった」と懐かしむ。一方で原爆投下の日は都志見に疎開中の自分が助かり、家族を失ったことを今も悔いているという。「幼い頃よく遊んだ兄の遺骨はまだ見つからず、犠牲になった家族に申し訳ないという気持ちは消えない」。このまま資料が埋もれてしまうよりも「多くの人に昔の面影を感じてほしい」と寄贈を決めた。

(2019年3月5日朝刊掲載)

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