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連載・特集

『生きて』 元広島市立大学長 藤本黎時さん(1932年~) <1> 学びの道

呉で過ごした戦時 原点

 広島市立大の第2代学長(在任2000~06年)を務めた藤本黎時(れいじ)さん(87)=同市安佐南区=は、ノーベル文学賞詩人イェイツの作品をはじめ、アイルランド文学の研究者として重きをなす。地道な学究、後進の育成、教育の環境づくりに尽くした歩みの背景には、自由な学問のままならない戦時下、呉市で送った青少年期の体験がある。戦艦「大和」と運命を共にした父の記憶と共に、使命感を持って語ってきた。

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 今年、呉は旧海軍の呉鎮守府開庁130周年ということで、祝賀ムードが高まっているようですね。私は物心ついた頃から多感な時期を呉で過ごし、就職後も一時を除けば、還暦を過ぎるまで自宅は呉でした。大和ミュージアムがにぎわうのを喜ばしく思います。父の遺品も少し寄贈していますしね。

 ただ、戦中の日本が、未来を背負う多くの若い命を無駄にした事実も忘れてはいけないと思います。戦死した父を「英霊」などと呼びたくありません。軍都広島もですが、軍港呉は兵器の生産拠点であり、戦争の加害者としての側面を負っています。私も学徒動員で魚雷の部品を造りました。まともに学問することのできない時代でした。

  ≪父方の親族にハワイ移民がおり、母は子どもをキリスト教会に付属する幼稚園に通わせた。藤本さんは後に洗礼を受け、クリスチャンに≫

 父は若い頃に海軍の遠洋航海で、ハワイに移民していた姉の家族を訪ねています。米国の国力もよく知っていて、日米開戦には疑問を持っていたのではと思います。私が海外の文学へ関心を持つ下地には、父や母が醸し出していた家庭の雰囲気があるでしょうね。

 ≪英文学、特にアイルランドの文化、文学に関心を深め、今日に至る≫

 アイルランドは、天下の強国である英国と長く、苦しい闘争を経た国です。20世紀初め、英国の支配から独立していく激動の時代を生きた詩人がイェイツでした。悲劇的な歴史の陰影を宿すアイルランド文学に引かれたのは、私も重苦しい時代を生きた「戦中派」であることが影響しているように思います。(この連載は呉支社・道面雅量が担当します)

(2019年7月31日朝刊掲載)

『生きて』 元広島市立大学長 藤本黎時さん(1932年~) <2> 軍人の子

『生きて』 元広島市立大学長 藤本黎時さん(1932年~) <3> 大和の記憶

『生きて』 元広島市立大学長 藤本黎時さん(1932年~) <4> 日米開戦

『生きて』 元広島市立大学長 藤本黎時さん(1932年~) <5> 父との別れ

『生きて』 元広島市立大学長 藤本黎時さん(1932年~) <6> 焼け跡で

『生きて』 元広島市立大学長 藤本黎時さん(1932年~) <7> 高校教師に

『生きて』 元広島市立大学長 藤本黎時さん(1932年~) <8> 研究者の道へ

『生きて』 元広島市立大学長 藤本黎時さん(1932年~) <9> ダブリン大で

『生きて』 元広島市立大学長 藤本黎時さん(1932年~) <10> 詩人の魂

『生きて』 元広島市立大学長 藤本黎時さん(1932年~) <11> ヒロシマへ

『生きて』 元広島市立大学長 藤本黎時さん(1932年~) <12> 大学への期待

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