×

連載・特集

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <19> KK戦争

地元分裂「申し訳ない」

  ≪2019年5月、参院議員を2期務めた3歳上の兄亀井郁夫氏が85歳で亡くなる≫

 俺たちは、まさに賢兄愚弟。兄貴は昔から頭も行儀もよく、褒められっ子だった。思い出すのは俺が修道高を放校され、東京都立の大泉高への転校試験を受けた時のことだ。東大生だった兄貴は試験当日に付き添ってくれ、校庭の地面に方程式を書いて教えてくれた。悲しいかな、俺は試験中に忘れちゃうんだけど。

 ≪東京大卒業後に旭化成へ就職し、総務部長や取締役を歴任した郁夫氏。1987年、広島県議選の旧比婆郡区(定数1)に立つ≫

 あのまま会社に残っていたら社長にもなれた人物なのに、広島県知事になりたいって言い出した。その足がかりに、まずは広島県議になろうと。先祖は戦国武将、おやじの素一も村の助役。亀井家ってのは、うずく政治の血があるんだろうな。

 比婆郡区の現職は、県議会議長の木山徳郎先生。もともと俺と確執があったんだ。衆院旧広島3区で争っていた自民党の宮沢喜一先生や佐藤守良先生と近く、俺の本丸の県北に刺さった「とげ」みたいな存在だ。この際とげを引っこ抜いちゃえと兄貴の出馬に俺も同調したんだ。

 ≪双方のイニシャルから人呼んで「KK戦争」。激戦を繰り広げる≫

 戦争って表現は、決して大げさではなかった。うちの選挙カーを見つけると木山陣営の支援者は道路に寝っ転がって通せんぼだ。集落の入り口にかがり火をたき「亀井に手を突っ込ませないぞ」と警戒していた。

 ≪郁夫氏が当選するも、対立の構図は比婆郡内の町長選や議員選にも広がる。県議2期目の途中、郁夫氏は93年の知事選に出て落選。2年後、県議返り咲きを狙うが、木山氏の三男耕三氏(現庄原市長)に敗れる≫

 今の俺が思うに、他に策はあったんじゃないか。木山サイドと話し合いをするとかしていれば、あんな泥沼は避けられたはずだ。反省です。

 ≪対立構図に解消の兆しが見えたのは98年7月の参院選。郁夫氏は国政に転じ、木山耕三氏も応援に回る。同年12月、旧比婆郡東城町長選も穏便な決着となった≫

 地域を真っ二つに割ってしまい、その溝は完全には埋まっていない。申し訳ない。その一言に尽きます。

(2020年3月3日朝刊掲載)

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <1> 官邸の主

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <2> 両親の愛情

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <3> 破壊学生と呼ばれて

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <4> 共学の大泉高時代

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <5> 東大時代

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <6> 核兵器反対運動

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <7> 警察キャリア官僚

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <8> 大立ち回りの捜査2課長

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <9> 国政に打って出る

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <10> カメとヒグマ

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <11> 首相レースの舞台裏

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <12> 自民党下野

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <13> 橋龍のウインク

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <14> 公共事業削減

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <15> 赤プリ5人組

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <16> 政治とカネ

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <17> 郵政解散

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <18> 政界引退

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <20> ご意見番

年別アーカイブ