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連載・特集

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <6> 核兵器反対運動

仲間の退学にハンスト

 ハンガーストライキを知っているか。抗議のため、飲まず食わずを続けるんだ。俺がやったのは東京大2年の1957年だ。水と塩をなめるだけ。発端は、米国の水爆実験だ。

  ≪日本のマグロ漁船第五福竜丸が「死の灰」を浴びる事件が54年に起こり、反核運動が全国で広がる≫

 学内で運動を率いた自治会委員長に退学処分が通告された。駒場寮の仲間でね。俺は「平和を願って行動したのに退学はおかしい」って、寮の仲間とハンストを決行したわけだ。1週間ぐらいでドクターストップがかかったが、委員長の処分は軽くなって停学となった。俺は学内で有名人さ。他にも反核デモにも参加した。正義感という以前に原爆は俺の家族に大きく関わるからね。

 ≪45年8月6日。8歳の亀井少年は庄原市の川北小の校庭にいた≫

 あの日の朝、俺は校庭で芋掘りなどの野良仕事をしていたんだ。すると西の方角がパッと光り、かすかに地響きを感じた気もする。上の姉の知恵子は広島に被爆者救護に行った。そこで入市被爆をし、後に白血病を患って57歳の若さで亡くなった。姉は俳人でね、「白血球 測る晩夏の 乾きかな」という句を残した。庄原の実家の庭先に、その碑があるんだ。だからこそ、俺はオバマの広島訪問には反対したんだ。

 ≪2016年、現職米大統領では初めてオバマ氏が被爆地を訪れる≫

 原爆投下は戦争犯罪だ。反省も謝罪もする気がないなら、来てもらわなくてよかった。単なる訪問を喜ぶのは、原爆で終戦が早まり、犠牲者が増えなかったと言い張る米国の世論と大差がないじゃないか。政治レガシー(遺産)づくりに被爆地を利用するのは許せないんだ。

 自分で言うのも何だが、俺は思想的に右にも左にもウイングが広くてね。「戦後派」と呼ばれる焼け跡を描いた文学作品を青春時代に読んだせいかもな。大泉高時代は左的な発言もしていた。初めて選挙に出た時、周りから「まさか自民党から出馬とは」と驚かれたもんだよ。

 ≪東大経済学部を出て別府化学工業(現住友精化)に。関西で勤務する≫

 就職活動は連戦連敗。拾ってもらった形の会社は楽しかったけど1年で退社したんだ。自分の力でもっと大仕事をやろうと思って。

(2020年2月11日朝刊掲載)

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <1> 官邸の主

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <2> 両親の愛情

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <3> 破壊学生と呼ばれて

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <4> 共学の大泉高時代

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <5> 東大時代

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <7> 警察キャリア官僚

『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <8> 大立ち回りの捜査2課長

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『生きて』 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) <19> KK戦争

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