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連載・特集

緑地帯 堀場清子 私を支える2本の脚 <3>

 「メリーランド大に、何かあるらしいよ」。帰るなり夫の鹿野政直が言った。1965年の夏、私たちは米国ワシントンにいた。米五大湖地方のカレッジ連合体と早稲田大の間で交換教授が始まり、鹿野が指名されて2年間、私たちは米国の小さな町で暮らした。

 鹿野は議会図書館に通い、日本の官庁から米軍が押収した文書の報告を書き、数年後に日本へ返還されるきっかけをつくった。

 結局、その時には手掛かりが得られないまま帰国した「何か」とは、後に「プランゲ文庫」(以下「文庫」と略)の名で呼ばれる占領軍の膨大な検閲文書だった。70年代に江藤淳氏の評論に「文庫」が登場したときには、「これだったか!」と夢中で読んだ。

 79年、夫が再び米国の大学に招かれた。私たちは落ち着く間もなく「文庫」を訪ねた。日本での職をなげうって「文庫」の仕事に尽くされた奥泉栄三郎氏から、説明を受けた。

 連合国軍総司令部(GHQ)は日本占領早々、プレスコードを発令、その下部組織の民間検閲支隊(CCD)も直ちに出版統制と情報収集の任務に就いた。49年10月末日の活動終了までCCDの許可を示すCP印が押されねば、いかなる出版も不可能だった。だがその活動は秘密だったから、当時の私たちは無邪気にも「言論の自由」を信じて、新聞や雑誌、書籍を読んでいた。

 その日、奥泉氏に示された検閲文書の一例は、原爆の惨禍を嘆く文章を覆って大きく赤鉛筆のバツが走り、英語で「発禁」と殴り書きがしてあった。(詩人・女性史研究者=千葉県)

(2020年4月21日朝刊掲載)

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