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世界のヒバクシャ

特集2: 核優位政策の重荷

第1章:アメリカ

 ホワイトハウスに原爆開発を促す「アインシュタインの手紙」が、ルーズベルト米大統領に届けられた1939年から半世紀がたつ。核開発に成功し、第二次世界大戦以後、冷戦下で核軍備の増強にひた走った米国は今、放射能汚染という出口の見えない難題にあえいでいる。ウラン採掘-核兵器製造-実験-廃棄物処理と連なる核サイクルのすべての過程で、労働者や周辺住民の健康被害が表面化した。汚染と老朽化で操業停止に追い込まれた核施設、汚染隠しが明らかになって連邦捜査局(FBI)の強制捜査を受けた核工場…。「国防」の名のもと国民無視で進められた米核政策は明らかに重大な岐路に立っている。

オークリッジ工場 膨大な廃棄物野積み

 広島原爆「リトルボーイ」を生み出したテネシー州オークリッジ核工場を訪ねた。広島への原爆投下から44周年に当たる1989年8月6日、オークリッジ「Y12」工場前に約千人の市民が集まっていた。「放射能漬け生活はごめんだ」「核のない21世紀を」といったプラカードが林立する反核集会である。自動車旅行の途中で飛び入り参加する家族連れ、エール代りに警笛を鳴らして通り過ぎるドライバーなどを見ていると、米国民の核意識が変わり始めていることを実感する。

 オークリッジは、米国の核開発を担う心臓部であった。「シークレットシティー」の別称が示す通り、全米で最も秘密性の高い地域だ。そこへ千人もの市民が集まり「反核」を叫ぶなど、一昔前には考えられなかったことである。それほど、核工場の環境破壊、健康破壊に対する不安が広がっているのだ。

 「Y12」を中心に「X10」「K25」の3施設が並ぶ広大な核工場群の周りを歩くと、放射性廃棄物を詰めた無数のドラム缶が野積みされている。延々と続く金網の内側は、膨大な廃棄物を埋めた跡で、そばを流れる川には「釣り・水泳禁止」の看板が立っていた。

 「この廃棄物を見ただけで政府がどれほど『核』に狂奔したか分かるでしょう。でも、その結果、放射能のごみというとんでもない物を残した。廃棄物が水や大気を汚さないという保証はどこにもない。それがいつの日か人体に入ると考えると、ぞっとする」。地元の環境保護団体「オークリッジ環境と平和連合」のスティーブ・スミスさんは、そう言って何度も首を横に振った。

 この工場の放射線被害を裏付けるデータはない。だが、ここで36年間働いたポール・ホワイトさん(60)は、脳腫瘍(しゅよう)に侵され、兄も、多くの同僚もさまざまな病気に悩まされている。「工場の記録が公開されれば、隠された被害は必ずある」と彼はみる。例えば、ここで700キロもの高濃縮ウランが行方不明になった。大量の水銀が放出されたこともある。しかし、それ以上の情報はすべて秘密のベールに包まれている。半世紀に及ぶ「シークレットシティー」の汚れた歴史を解明する作業はまだ始まったばかりなのだ。

事故・汚染が続き操業停止に

 オークリッジを含め、エネルギー省が所管する核兵器関連施設は、13州にまたがっている。オークリッジとハンフォード(ワシントン州)、ロスアラモス(ニューメキシコ州)の3施設は、原爆開発のための「マンハッタン計画」のもとで第2次世界大戦中に建設された核工場「ご三家」である。戦後、冷戦の激化に伴ってロッキーフラッツ(コロラド州)、サバンナリバー(サウスカロライナ州)、ファーナルド(オハイオ州)などが次々と建設され、全米に核兵器製造のネットワークがつくり上げられた。

 米上院政府問題委員会の核問題専門スタッフであるロバート・アルバレス氏によると、核開発、生産施設だけに限っても、全米20カ所に250もの工場があり、労働者は約11万人、年間予算は91億ドル(約1兆3千億円)にのぼるという。

 今、これらの核工場の多くが、オークリッジと同じように放射能汚染、健康障害を引き起こしていることが明らかになった。

 例えば、水爆の起爆装置を造るロッキーフラッツ。この工場では、1988年秋、3人の従業員が高度に汚染された部屋に入って被曝した。そのことが表面化して、工場は緊急閉鎖された。ここは何度もプルトニウム汚染を起こしたいわくつきの工場で、1989年6月には、とうとうFBI(連邦捜査局)の強制捜査を受けた。

 また、ホワイトハウスの威信を傷つけたのが、核弾頭用のプルトニウム、トリチウムを生産するサバンナリバー工場である。ここでは過去28年間に30件の事故があった。ところが、事故のことは大統領にもエネルギー省長官にも伝えられていなかった。

 「国家の安全」のための核工場が、事故や汚染で国民の生命を脅かしていた事実が次々と暴露され、施設の閉鎖が続出した。いま、高濃縮ウラン、プルトニウム、トリチウムなど核弾頭用の原料調達工場のすべてが操業停止に追い込まれている。

 核弾頭原料の生産中止は、米核開発史上はじめての出来事。アルバレス氏は「ウラン、プルトニウムはかなり備蓄されているが、水爆の爆発力を高めるトリチウムは半減期が12年と短く、更新しなければならない。それが新たに造れないとなると、核弾頭がそれだけ減る。核政策は重大な変更を迫られている」と指摘した。

 それにしても民主主義の国・米国で、核工場の事故や汚染が、長い間、住民に知らされないできたのはなぜだろう。アルバレス氏は「マンハッタン計画が極秘で始まったように、戦後の核軍備を社会から隔絶された状態で、官僚や科学者らの思うままに進められた」と言う。核政策に関しては連邦議会もなかなか口出しできず、核に対して民主主義が機能しなかったことが、このような事態を招いたというのだ。

 1986年に起きたソ連のチェルノブイリ原発事故が「問題が表面化する大きな引き金になった」とも。「原子力施設は科学技術の粋を集めた安全なところという神話が崩れた。核戦争よりも核工場事故の方が怖い、という意識が住民の間に広まった。工場を調べてみると、この半世紀近くの間にとんでもないことが起きていたことが判明したのだ」。アルバレス氏はこう力説した。

核開発・軍拡のツケ重く

 大半の核兵器工場は、建設からすでに30~40年もたち老朽化が著しい。施設の近代化と、長年の間に積もり積もった廃棄物の処理に、少なくとも1千億ドル(約14兆円)はかかるという試算もある。赤字財政に苦しむ米国政府は、ここへ来て「核軍拡の重いツケ」の清算を迫られている。

 核軍拡がもたらした「負の遺産」は、廃棄物の処理や汚染された環境の浄化だけにとどまらない。何よりも深刻なのは、放射線被曝による核被害者の問題である。では、米国内にはいったい、何人の核被害者がいるのだろうか。公的な機関による実態調査がほとんど行われていないため、正確な資料はない。唯一のデータは、核被害者で組織している「全米放射線被曝者協会」(NARS、本部カリフォルニア州)がはじきだしている「推定88万6千人」という数字である。

 このNARSの資料を見ると、アリゾナ州などのウラン鉱山での被害者が1万5千人、1942年のマンハッタン計画以来の核工場、研究所関係が25万人、ネバダなど核実験場の労働者25万人、マーシャル諸島などの核実験に動員された退役軍人が25万人、ネバダ核実験場などの風下地区住民12万人などとなっている。NARSのフレッド・アリンガム事務局員の言葉を借りれば「ウランの鉱石を掘って核兵器を造り、貯蔵し、廃棄物を処理するまでの全工程で、さまざまな被害者が生まれた」ということになる。

 核工場がフル操業していた1950~60年代、ハンフォードで5万人、オークリッジで2万人も働いていたという。また、1回の核実験に数千人の兵士が動員されたという状況からみて、アリンガムさんは「88万人という数字は決して過大な推定ではない。核工場周辺住民の被害がはっきりすれば、実際にはさらに増えるだろう。放射線被曝による被害者は、全米に広がっているといってもオーバーではない」と言う。

住民ら訴訟の動き

   ところが、これらの被害者に対する公的な救済措置はないに等しい。米国内で核被害者救済対策を求める声が上がり始めたのは1977年ごろのこと。ようやく1988に被曝退役軍人を対象にした援護法が成立したが、軍人以外の被害者対策はまったくない。ネバダ核実験場の風下地区住民が被害補償法の制定を要求したり、ハンフォード核工場の周辺住民が集団訴訟の準備を進めたりするなど、各地で動きが高まってはいるが、要求実現までの道のりは依然として険しい。

 政府がもし核被害者の存在を認めると、被害者への医療対策や補償に巨額の費用が必要になる。それだけでなく、核兵器の生産自体が不可能になるかもしれない。「政府のそうした考えが、被害者救済の道を閉ざしている」とアリンガムさんはみる。

 しかし、1989年8月初め、エネルギー省は「核工場の従業員は発がん率が高い」と初めて被害者の存在を認めた。また、すべての核工場の環境データを順次公表することも約束せざるを得なくなった。

 「自国の市民を顧みないままの国防なんてありえない。冷戦下の『負の遺産』をはっきり精算することが民主国家の道」とアリンガムさんはきっぱりと言った。