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世界のヒバクシャ

6. 政府の責任問い、集団訴訟

第1章: アメリカ
第1部: 秘密の平原ハンフォード

被害の多さに憤り

 シアトルの弁護士トム・ホールドさんは、スポケーン連邦地裁に近く提出する「ハンフォード核工場被害者救済訴訟」の準備に追われていた。原告被害者を捜して駆け回る日々。愛車リンカーンには、核実験中止を求めるステッカーが…。

 海を見下ろすシアトル都心の事務所には、ハンフォード関連のファイルが10冊以上も並んでいた。といっても、彼が核工場問題にかかわり始めたのは1989年の初め。被害者の一人から「核工場を相手に損害賠償の裁判を起こせないか」と相談を受けたのがきっかけだった。

 1988年の秋以降、有力紙「ニューヨーク・タイムズ」などが、全米の核兵器工場の汚染問題を集中的に取り上げていた。コロラド州ロッキーフラッツ、サウスカロライナ州サバンナリバー…。ホールドさんは心に引っかかることもあって、それらの記事を興味を持って読んでいた。

 その引っかかりとは、13年前に48歳で亡くなった妻のジャッキーさんのことである。彼女の病名は「白血病」だった。かつて、2人はネバダ核実験場の風下の汚染地帯に住んでいた。「もしや妻は『死の灰』にやられたのでは…」。そんな思いが、彼を被害者救済へ駆り立てた。

 甲状腺障害、がん、妻と同じ白血病も。「核工場周辺を回って、被害者の多さに驚き、憤りを感じたね」。被害の実態も、まして被害者への補償も、専門的な治療も、何一つなかった。

 「国防上、核兵器は必要と言っても、そのために国民を犠牲にしていいわけはない。それもハンフォード45年の歴史で、戦時下は最初の2年だけであとは平時だ。こんな無謀が許されて民主主義はない」とフォールズさんは断言する。

 ただ、訴訟には大きな壁があった。国防や外交など国の政策に関して、国民は国を相手に裁判を起こせない―という米国の裁判上の原則である。ハンフォード核工場の運営は、米核政策の柱であり、国の政策そのものということになる。

「企業の過失明白」

 「訴訟の壁を越える手は」と、ホールドさんはエネルギー省が公開した資料を丹念に調べ、ついに一通の契約書を見つけた。民間企業が下請けする形で操業しているハンフォード核工場が、当時結んだ下請け契約の中に「地域住民を傷つけてはならない」という1項があったのだ。

 「少なくとも13年間に53万キュリーの放射能を放出した。今も放射能漏れが続いている証拠を握っている。不必要に、しかも継続的に周辺を汚染して被害者を生んだ工場の過失は明らかだ。下請け企業を相手に訴訟はできる」。こうしてホールドさんは、裁判への展望を切り開いた。

原告は1万人以上

 ヨウ素131の人体への影響に詳しいスポケーン・ホールズ短大のベンソン教授は「ヨウ素131が子供や妊婦に悪影響を及ぼすのは、当時、既に常識だった」と断言し、マーシャル諸島の被曝者を調査したシアトルのハミルトン博士も「ヨウ素131はハンフォードでも影響がある。長年、秘密にしたことによる医学的空白はあまりにも大きい」と言う。こうした専門家の裏付け証言も、整いつつある。

 原告は1万人を超えるはずだ。米国には、核工場周辺の被害者を救う法律はない。「この訴訟が救済法につながる」と、被害者は集団訴訟に大きな期待をかけている。