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世界のヒバクシャ

2. 気楽な余生も台無しに

第1章: アメリカ
第2部: スリーマイル島事故―10年の軌跡

ごう音 大地揺らぐ

 原発構内を一通り見て、次は周辺の住民を訪ねてみた。サスケハナ川の右岸に立つと、1.6キロ東の対岸にあるスリーマイルアイランド原発の4本の冷却塔は、目と鼻の先だった。

 「ワシは第2次世界大戦の戦場で何度か命を失いかけたが、10年前のあの時ばかりは身がすくんだよ。旅客機が離陸する時のような、すごい轟音が聞こえてな。夜明け前、4時ごろだった」。ビル・ウィトックさん(83)はそう言って、核燃料の撤去作業が続く2号炉を振り向いた。

 跳び起きてベランダへ出てみると、4本のうち右側の2本の塔が、白い蒸気をはるか上空まで噴き上げていた。10分余りでいったん止まり、5分後に再び始まった。ライトに照らし出された蒸気の「束」は、ゴーゴーと大地を揺るがした。

 「前にも2度、似たようなことがあったが、規模が全く違ったので、はっきり事故だと直感したよ」。この時、発電所では、原子炉の炉心が溶け出して地下に沈む、映画「チャイナシンドローム」が現実になろうかという、危機的な状況が進行していた。復水ポンプ、給水ポンプが相次いで停止し、炉内は空炊き状態で、温度が急上昇していた。

首の皮膚がん切削

 金属を含んだような、生まれて初めての気味悪い味が、ウィトックさんの口の中に広がった。妻のイレーネさん(72)は、アラスカの実家へ行って留守だった。3日後、州政府の避難命令が出たので、2匹の猫を連れて町を逃れた。身を寄せた知人宅のテレビに、見慣れた冷却塔が映し出され、アナウンサーは「世界で初めての重大な原発事故が起きた」と伝えていた。

 放射能への漠然とした不安を抱きながらも、3年、5年と何事もなく過ぎた。ところが3年前、首の左側にはれものができて、ウィトックさんは医師に精密検査を受けた方がよいと言われた。フィラデルフィアのテンプル大学付属病院で組織検査の結果、診断は「皮膚がん」で、すぐに病巣部分を3センチ四方切り取った。

 「原発事故のせいかどうかを、どの医師に尋ねても『分からない』と言うんだよ。でもなあ、噴き上げた蒸気に放射能が含まれていたのは間違いない。ワシが病気と事故を結びつけて考える気持ち、分かってくれるだろう?」。ウィトックさんはそう言って「2軒隣の老夫婦も、すい臓がんと乳がんだ」と付け加えた。

 ウィトック夫妻が、水辺と緑を求めてこの地に移ってきたのは20年前だった。「ゆったりと老後を送ろう、と話し合ってな。もちろん、原発などなかったよ」。自慢の3,500平方メートルの庭の向こうに、無粋なコンクリートの塔が建ったのは5年後のことだった。やがて2号炉もできて、景観は台無しになった。

「手に負えぬヤツ」

 「原発が軌道に乗れば、電気代がただになる、というんで我慢していたが、そこへあの事故が起き、家の価値は40パーセントも下がってしまったよ」

 国家や地域のためになるなら、多少の不満や不便は甘受する。そんな古きよきアメリカの気風を漂わせるこの老人にとっても、首の皮膚がんと、原発事故による不動産価値の下落は、我慢の限界を超えていた。「だってそうだろ? 原発は安全だと言い続け、事故が起きると、今度は、健康に影響ないと、ワシらをだまし続けているんだ」

 そんな思いを、訪ねてくる人へ語るたびに、ウィトックさんは10年前の、あのごう音とともに噴き出す水蒸気が目に浮かぶ。「原発は人間が造ったものだが、人間の能力を超えた手に負えないヤツだ。罪なもんだよ」と彼は言って、もう一度対岸を見やった。