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世界のヒバクシャ

4. 農場汚染され荒れ放題

第1章: アメリカ
第2部: スリーマイル島事故―10年の軌跡

シカの角不ぞろい

 私たちは屋敷の入り口で、思わず足を止めた。3頭の野生ジカの頭部がそばの荷車の上に無造作に置いてあるが、近寄って見ると、どれも左右の角が不ぞろいで、か細い。「やあ、気がついたかい」と声をかけたのは、この家の主ポール・ホローカさん(63)だった。

 「近ごろは、どれもこれも無格好なやつばかりでな。この辺の自然界は、みなおかしくなっているんだよ」。ホローカさんはそう言って、5キロ余り東の原発から噴き上がる白い蒸気をうらめしそうに見やった。

 彼は家の周囲に65ヘクタールの畑を持つ農場主で、かつては麦や野菜、トウモロコシを栽培し、乳牛、肉牛、ニワトリ、馬、ヤギを飼っていた。それが今は40頭の肉牛と50羽のニワトリだけになってしまった。農機具庫は屋根が崩れかかり、中の農具もさびたまま放置されている。

 「牛を売り食いする日々さ。気力がだんだんうせてな。農場も荒れる一方さ」と、ぶっきらぼうに言った。10年前の事故以来、病気がちの日々が続く。無精ひげをはやした顔に生気が感じられない。

家族の体にも異常

 あの朝、ホローカさんは姉のマリーさん(75)と牛乳を搾っていた。突然大地の底から突き上げるような震動が襲った。「地震か」と話しているうちに、辺り一面、青黒い空気に包まれた。二人は「のどが焼けるような、いやな味」を感じた。3日後、避難勧告がでたが、「家畜を見殺しには」と、農場にとどまった。

 テレビキャスターが「環境汚染が懸念される」と言うのを聞いた時、彼はことの重大さを悟った。「案の定、牛乳の集荷がストップさ。消費者が汚染牛乳を飲むわけないわなあ」。汚染地域の真っただ中とあって、牛乳だけでなく、丹精込めた農産物が、買いたたかれる羽目になった。

 問題は農作物だけではなかった。5カ月後、姉のマリーさんの甲状腺が悪くなった。さらに3年たって肺がんと診断され、手術をした。次姉(70)も足の骨に異常が出て、この4、5年はつえに頼る毎日である。ホローカさん自身、「ワシもノドが…。甲状腺のことが心配なんだ」と、のど元に手をやった。

 原発の経営を引き継いだGPUニュークリア社は、こうした異常に対して、事故との関係をきっぱりと否定する。「多少の放射性物質は出たが、がんの原因になったり、環境に悪影響を及ぼすほどの汚染はなかった」と言うのだ。

汚水の処理を懸念

 「じゃあ、事故のあとワシが体験したことをどう説明するんだい?」。ホローカさんはそう言って、白い葉のトウモロコシ、牛の出血死や受胎率の低下、姉や自分の体の異常などを次々と並べ立てた。「みんな、あの忌まわしい事故まではなかったことだ。いくら『関係ない』と言ったって、信じられんよ」

 原発不信を募らせる彼は、事故後しばらくしてガイガーカウンターを買った。ベトナム戦争用に作られたという小型の探知機で、175ドルだった。彼は毎日、測定値をカレンダーに書き込む。あの原発でまた事故が起こらないとも限らないので、万一に備えているというのだ。

 その彼に、一つ気懸かりなことがある。それは原発の敷地内で近く始まるという、8,700キロリットルもの汚染水の処理だ。「あれだけの事故を起こしておきながら、今度は汚水の処理。蒸発させると、また周りに放射能がまき散らされるんだろ?」。原発に農場を台なしにされた憎しみは、彼の頭から消えない。