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世界のヒバクシャ

5. 日本人ドクター批判の矢面に

第1章: アメリカ
第2部: スリーマイル島事故―10年の軌跡

仕事の内容が一変

 スリーマイル島の周りを取材していて、「ドクター・トクハタ」という名前を、しばしば耳にした。「日系人ではないか」と思い、ハリスバーグの州庁舎を訪ねたところ、その人はまさしく日本人だった。

 徳畑一成さんでは、松江市出身で65歳。戦後、フルブライト留学生で渡米し、ジョン・ホプキンス大学などで予防医学を学び、博士号をとってペンシルベニア州公衆衛生局の疫学研究所長に招かれた。

 「あの日を境に、原発が私の仕事の中心になってねえ」。浮世絵を飾った所長室で、徳畑さんは、事故の影響調査に奔走した10年を振り返った。

 炉心への給水ポンプの異常に端を発した「事故」の第一報は、発生から3時間後に届いた。詳細不明のままとにかくオフィスへ急いだ。「放射性物質は大気中へ放出されたのか?」「鎮静化の見通しは?」。マスコミや住民からの問い合わせに、最初の2日間は徹夜した。首都ワシントンから駆けつけたエネルギー省の専門家と協議して、知事に避難勧告を進言したのは、3日目の昼だった。

 「仕事が本格化したのは、むしろ事故が静まってから」と徳畑さんは言う。まず周辺住民への影響調査という任務が待ち受けていた。だが、州政府には原発事故に備える予算も、職員もいなかった。連邦政府の緊急援助を受けて、二つの調査を始めることができた。一つは半径8キロ内の住民3万7千人の転出動向、もう一つは16キロ内の妊婦4千人の経過の掌握である。

総括は「影響なし」

 調査の結果、事故後1年間、地域外への転出者は12パーセントだった。これに対する徳畑さんの見解は「移動の激しい米国ではごく普通の数字。事故が転出を促進したとは考えられない」である。

 それでは妊婦はどうか。「流産」は4千人中6百人(15パーセント)。事故地域外の妊婦4千人との比較結果は「有意差なし」。「16キロ圏内の放射線量は平均10ミリレム。自然界でも年間100ミリレムなので、今のところ事故による人体への影響は見られない」。これが徳畑さんをリーダーとする調査班の総括である。

 ところが、調査結果に対して、環境保護団体から非難が出た。住民の一人、ジェーン・リーさん(65)らの調査で「原発の隣町ミドルタウンの1地区で、がん患者が事故前10年間の6倍に急増」という結果が出たのだ。徳畑調査班は、区域を半径32キロに広げて、再び発がん調査を実施したが、ここでも結果は「異常なし」だった。

 「影響あり」と主張する住民グループとはことごとく食い違う徳畑調査班のデータにいらだちを募らせる住民グループは、「ドクター・トクハタは原発推進の元凶」と手厳しい。そして今、住民らは「データを改ざんして発表した」と徳畑さんを相手に提訴の動きをみせている。

住民との間にみぞ

 事故をきっかけに生じた住民との間のみぞについても、徳畑さんは「科学者として冷静に影響を調べ、万一に備えるのが私の使命ですから」と穏やかに答えた。しかし、平静さと裏腹に徳畑さんが時折みせるみけんのしわは、苦悩を象徴しているように見えた。

 ハリスバーグで立ち寄ったレストランの電話帳に、原発事故の「避難体制」が6ページにわたって載っていた。10年前の教訓の一つなのだろう。「こんなもの、ない方がいいわね」とレジ嬢がいたずらっぽく笑った。

 この10年間、運転を開始した原発46基、廃炉5基、キャンセル・着工延期69基、新規の計画、発注、着工はゼロ。これが事故に対する米国民の答えである。