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世界のヒバクシャ

1. 放射性廃棄物貯蔵ダムが決壊

第1章: アメリカ
第3部: ウラン採掘の村

 「駅馬車」「騎兵隊」など数々の名画の舞台となった米国のアリゾナ州からニューメキシコ州にかけて、インディアン居留地が広がる。西部開拓史を思い起こさせるこの地には、ウラン採掘による放射能汚染という、もう一つの歴史が潜んでいる。それは「核の半世紀」を底辺で支え続け、今、新たな恐怖に直面する先住民たちだ。私たちは置き忘れられたインディアンの村を訪ねた。

 
鉱滓用ダムが決壊

 日が西に傾くころ、踊りは始まった。「アヒーヤーヤー アヒーヤー」。男と女が腕を組み、ゆったりしたリズムにのってステップを踏む。

 ここはニューメキシコ州西端のチャーチロックである。コロラド川支流プエルコ川の河原で、ナバホ・インディアンの祈願祭が開かれていた。「神よ、昔のようなきれいな水を、私たちにお授けください」。そんな願いと、水を奪ったものへの恨みを込めるかのように、人々は踊り続けた。

 10年前の1979年7月16日、ウラン鉱滓(さいこう)用ダムが決壊し、放射性物質を含んだ汚泥が下流を襲った。その日から村人たちは川や井戸の水を飲めなくなった。その時からちょうど10周年を迎えた日、ナバホ先住民の伝統に従ってささげた祈りが、この静かな祭りだった。

 ダムの決壊は明け方の5時過ぎに起こった。高さ14メートルの堤防が崩れ、汚泥が幅30メートル余りのプエルコ川を一気に走った。「泥水が波打って押し寄せてきたよ」。160頭の羊とヤギを飼うジョニー・アルビソさん(56)が恐怖の体験を語ってくれた。だが本当の恐怖は、泥水が引いた後に始まった。

 壊れたのはユナイテッド・ニュークリア社のウラン精錬所に併設した廃棄物貯留用のダムだった。川床は泥の海と化し、油と酸が混ざった、鼻をつくいやなにおいが広がった。

ナバホ先住民の村汚染

 当然のことながら、汚泥は放射性物質を含んでいた。会社は職員を動員して回収を始めた。だが、流れた泥は35万9千リットル、鉱滓が1,100トンにものぼり、作業ははかどらなかった。流域には、羊などの放牧を営むナバホ先住民の村が点在し、約700世帯、5千人が住んでいた。事故の後、ラジウム、ウランなど高濃度の放射性物質が検出されて、川の水はもちろん、井戸水も危険になった。以来、40キロ東の湖からパイプで水を引き、バケツで各戸に配るという不便な生活が続いている。

 「放牧の羊や牛に『川の水を飲むな』と言っても、通じるわけがない」。アルビソさんらは、その肉や毛を市場に出し、自分たちも食べる。

 チャーチロックでウラン採掘が始まったのは1940年代後半で、岩山には、今も無数の廃坑が残る。「山は神聖なところ。事故はそれを荒らしたたたり」と、長老が言った。

10~1000倍の放射線量

 米国の核開発史上、最悪のケースの一つと言われるこの事故は、州政府の警告を無視して、廃棄物をため過ぎたのが原因とされる。「プエルコ川から許容基準の10~1000倍の放射線量を検出」(米地質研究所)という最近の調査結果が、今も続く「危険」を物語る。

 「私たちがインディアンだから、あんなずさんなダム管理をしていたんだ。精錬所は閉鎖したが、昔のきれいな水はもう戻らないよ」。地区の副区長、テッド・シルバースミスさん(49)は、腹立たしそうに言った。

 「ここは事故で注目されたけど、フォーコーナーの砂漠地帯は廃坑だらけだ。そこはもっとひどいよ」。シルバースミスさんにそう聞いて、私たちは車のハンドルを北へきった。