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世界のヒバクシャ

5. 汚染石で建てた「ウランの家」

第1章: アメリカ
第3部: ウラン採掘の村

石の煙突に放射能

 ニューメキシコからアリゾナにかけて広がるナバホ先住民の居留地を歩くと、おわんを伏せたような丸い建物や六角形の住宅が目につく。土と石で造った伝統的な住居で「ホーガン」と呼ばれる。最近、このホーガンから放射能が検出され、大騒ぎになった。どうして家にまで放射能が入り込んだのだろうか。

 レッドバレーの谷あいに暮らすフォーニック・ヤジーさん(68)も「放射能の家」に住む1人だ。1989年7月末、ナバホ自治政府の職員が、放射線検知器で調べたところ、母屋の中央にある暖炉の煙突と別棟の土台の2カ所で検出された。

 主人のクリフォードさんを18年前に失ったヤジーさんは現在、1人暮らしである。家を訪ねると彼女は、先住民の伝統工芸、じゅうたん用の糸を紡いでいた。

 家の周りに100頭の羊を放牧し、その毛を紡いで、こつこつと機織りで織る。畳くらいの大きさで2カ月かかる。暖炉の煙突に背をもたれ、くる日もくる日も糸を紡いでは織る。「この煙突から放射能が出たらしいけど、今さら造り替えると言っても無理な話ですよ」と、戸惑いをみせた。

くず石を持ち帰る

 家の前に立つと、向かいの切り立った赤い岩山に、いくつも穴が見える。やはりウランを採掘した跡である。夫のクリフォードさんも、この鉱山で20年余り、採掘作業員として働いた。

 採掘で出るくず石が穴の外に積み上げられる。その石が30センチ角で6、7センチの厚さ。家の土台、壁、煙突にレンガ代わりに積むのにもってこいの形だった。鉱山の近くに住む人たちは、くず石をせっせとわが家に持ち帰っては、家の材料に使った。

 ヤジーさんの家も例外ではない。クリフォードさんが1950年代から60年代にかけて、母屋と納屋を建てる時に、その石を使った。「仕事が終わると石を持って帰って…。この煙突もそうやってこしらえたんだから」

 クリフォードさんの死因は肺がんだった。「まだ62歳だったのよ。やせて、やつれ果ててねえ。放射線の治療を受けたとかで、髪の毛が抜けてたよ」。死を前にしたクリフォードさんは「ヤマの放射能が憎い」と言い続けた。「もう分かったよ、と言っても主人はきかないの」。気丈そうなヤジーさんのまぶたがぬれていた。

 彼女の家から400メートルほど北にも、土と石の家「ホーガン」がある。どの家で聞いても、鉱山のくず石を、何のこだわりもなく使ったという。「みんなやってたことだし、その石が変なものだとか、危険だとか教えてくれる人はいなかったもの」

無知つけ込み放置

 だが、四六時中、放射線を浴びる生活をしていて大丈夫なのだろうか。

 「いいわけないわ」と言うのは、ナバホ先住民の放射線被害者の救済に取り組んでいる「南西調査情報センター」(ニューメキシコ州アルバカーキ)のリンダ・テーラーさん(50)である。彼女によると、ウラン鉱山労働者が放置されてきたのは、低レベル放射線の影響がはっきりしないためだという。「結局、住民の無知につけ込んだのね」とテーラーさんは怒りをあらわにした。

 住民が「ウランハウス」と呼ぶ放射能を含んだ家は、今、順次、取り壊されている。だが、ヤジーさんらの場合、仮に汚染個所を取り除いても、風が吹くたびに舞い上がる廃坑のほこりは手のほどこしようがない。

 「ここは私らの土地。逃げ出すわけにはいかないんだよ」。ヤジーさんは、いらだたしそうに言った。