4. 「原子の湖」―実験で環境激変
13年1月15日
第2章: ソ連
第1部: ソ連最大のセミパラチンスク核実験場
第1部: ソ連最大のセミパラチンスク核実験場
地下核実験で陥没
セミパラチンスク市で核実験の影響を取材していて「原子の湖」という耳慣れない言葉を幾度か耳にした。詳しく聞こうとすると「人づてに聞いただけ」と、なかなか要領を得ない答えが返ってくるばかりだった。そんな中でやっと巡り合ったのが、1955年から鉱物資源探査を続けているイリヤス・イスカコフさん(55)である。
「湖のことか。ああ何度か見たよ。でもあまり行きたい所じゃないな。小さいのは数えたことないけど、大きい湖は2カ所ある。一つは幅500メートル、長さ1,000メートルくらいかな。1965年1月の地下核実験で陥没してできた。爆発規模は広島原爆のほぼ10倍、125キロトンと言ってたな」
彼は、主に金鉱を求めて実験場内を含むセミパラチンスクの原野を歩き続けている。仕事柄、放射線測定器を肩に歩き回る。だが、大気圏実験のころはもちろん、地下実験移行後も、実験場内では測定器がまったく役に立たなかったと言う。「使っていたのは1時間当たり1,250マイクロレントゲン(X線およびガンマー線の照射線量の単位)まで測れる機械だったけど、スイッチを入れると針が振り切れるんだよ」
測定不能の高汚染
大きな「原子の湖」ができて4カ月後の1965年5月、湖まで5キロの所でスイッチを入れてみたところ、イヤホンからすごい音が聞こえて、しばらくしたら静かになった。放射線レベルが高過ぎて測定器が壊れてしまったのだ。恐ろしくなった彼は、機材を捨て、ほうほうの体で逃げ出した。
「もう一つの湖は大きいよ。幅は広い所で5、600メートル、長さは5キロくらいだろうな。もともと小さな『原子の湖』があった場所で、1984年に140キロトンくらいの大型の実験をやった。それで、いくつかの小さな湖が、ドンと沈んで一つになってしまった」
彼は地質調査を長年続けてきた経験から、実験による環境の激変を憂える。「せっかく金や石炭の鉱脈を見つけても、実験場は手のつけようがないよ。放射能汚染はひどいし、地質がガタガタだからね」。鉱物記号を書き込んだ地質図を前に、彼は何度も「ひどいもんだよ」とつぶやいた。
「もう一つ大きな問題がある」と彼が指摘するのは、遊牧民の暮らしを支える馬や羊の放射能汚染だ。実験場には、かつての農場へ通じる道路などごく一部には有刺鉄線が張ってあるが、大部分は標識が立っているだけである。「家畜は草があればどこへでも行くからね。汚染された草を食べれば最後は人間の体にたまる。考えただけでぞっとするよ」
イスカコフさんの懸念を裏書きするように、「ネバダ・セミパラチンクス運動」本部が最近入手した機密資料によると、羊の体内に蓄積された放射線量は平均で他地域の22倍、最大350倍だった。ミルクは25倍、骨は4~30倍というデータもある。
住民はダブル被曝
実験が続く間、周辺の村々で肉やミルクの摂取規制が行われた形跡はない。とすると住民は「死の灰」の直接汚染と、家畜の肉やミルク摂取による間接汚染のダブル被曝を強いられていることになる。
「原子の湖」に研究用に放流して増えたとみられるサザンと呼ぶコイに似た淡水魚の話を、彼が聞かせてくれた。「湖のほとりに注意書きが立っていてね。『食べてもよいが骨は食べるな』と書いてあるんだ。あんな所へ住民が魚釣りに行くと思うかね。まして骨なんかだれが食べるもんか」
土、水、家畜の汚染について、住民に何一つ注意を与えない軍が、住民のいない所に間の抜けた注意書きを立てる。その不誠実さが、イスカコフさんには我慢ならない。