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世界のヒバクシャ

4. 蔓延する「放射能恐怖症」

第2章: ソ連
第2部: チェルノブイリ事故から3年 広がる後遺症

揺れ動く国民心理

 今、ソ連国民の間で、チェルノブイリ原発の事故をめぐって「2つの真実」が、皮肉をこめて語られている。1つは政府機関が発表する「科学的データ」、もう1つは口コミで流布される「うわさ」である。片や真実のようなごまかし、片やうそのような真実、という意味である。

 「うわさ」という名の真実は、事故から3年を経て鎮静化したかに見える。しかし、「科学的データ」がマスコミを通じて発表されると、後者がたちまち頭をもたげる。考えてみれば無理もない。「原発ほど安全なものはない」と政府が言い、国民も信じていたのに、1986年のあの一瞬の事故で原発への信頼は覆ってしまったのだ。以後、政府が発表する科学的データは、うわさに駆逐され続けている。

 そんな現実が、被曝者だけでなく一般国民をも、不安の渦に巻き込んでしまった。事故以後のソ連国民の不安定な精神状態を表現するのに「ラジオ・フォービア=放射能恐怖症」という言葉がある。ソ連のマスコミにしばしば登場するこの耳慣れない用語は、「2つの真実」の間を揺れ動く国民の心理をピタリと言い表している。

「汚染地図」を発表

 白ロシア共和国ゴメリ州のロジェナ集団農場を訪ねた時のことだ。原発まで15キロのダブラディ村から避難してきたトラック運転手のアレクサンドル・オプリシェンコさん(30)は「ヒロシマから来たのなら教えてくれ」と真剣なまなざしを向けた。聞けば、彼の心配のタネは9歳と4歳の子供のことだという。事故から12日間は汚染など知らずに暮らし、5月8日に避難させられたのがガロウチチ村だった。その村も汚染されて危険だというので、9月に現在のロジェナ農場へ移った。

 「それから年2回、血を採ったり、ノドを調べたりして検査を受けている。医者は大丈夫だと言うけど、ノドが腫れてがんになるというのは本当だろうか」と質問してきた。同行のシェコフ医師(38)が、集まった避難民に甲状腺障害や事故で放出されたヨード131の半減期について説明を始めた。だが住民たちは「今ヒロシマのことを聞いてるんだよ」と、医師の説明を封じてしまった。

 ロジェナ農場の避難民がいらだつのも無理はない。事故3周年を前にソ連気象予報委員会が初めて明らかにした放射能汚染地図によると、高濃度汚染地域は、半径30キロの避難区域をはるかに超えていた。それに2度目の避難先であるこの農場も、すっぽり汚染区域に入っている。

 「私たちゃどうすりゃいいんだい?」。集まってきた避難民の中から、マリヤ・ペトレンコさん(59)が大声で言った。「わたしゃ心臓が悪いし、主人はせきが止まらない。ここも放射能とやらで汚れてるんなら、ダブラディへ戻ってがんになっても同じことだろ?」

 ゴメリ州内を案内してくれたアントン・アロマノフスキー州保健部長(49)も、彼女の問いかけにはうつむいたままだった。

 汚染地図の発表と前後してソ連政府は、ウクライナ、白ロシア両共和国の25の村に新たに避難勧告を出した。アロマノフスキー保健部長にとっては、勧告に基づく管内8村、2千人あまりの住民の避難が差し迫った課題となった。しかもラジオ・フォービアの拡大が、管内8村の人たちにとどまらないことは目に見えている。

 チェルノブイリ事故が生んだラジオ・フォービアという名の新しい「病気」は、政府に対する不信が「病原菌」とみられるだけに、治療は難しい。