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世界のヒバクシャ

6. 汚染食品を食べる村人たち

第2章: ソ連
第2部: チェルノブイリ事故から3年 広がる後遺症

食用可のスタンプ

 原発事故による食品汚染の影響はないのだろうか。そんな疑問を抱きながら、キエフ市内の市場を回ってみた。

 240万キエフ市民の台所を賄う市場の1つ、市営ズイトニー市場は、食料品を買い求める行列が歩道まであふれていた。人垣を分けて裏口へ回ると「検査室」と書いたガラス戸の向こうで、白衣の婦人が検査に没頭していた。その人、ズイトニー市場の衛生検査研究室長リュボフ・クルブリクさん(50)は「市場へ持ち込まれる食料品は、ここで『食用可』のスタンプを押さないと店へ出せません」と言って、検査台の野菜や乳製品を見回した。

 チェルノブイリ事故までは乳製品の加工年月日やはちみつの純度チェック、毒キノコの判別が彼女の主な仕事だった。しかし、ウクライナの穀倉地帯に原発の放射性物質が降り注いでから、検査室の役割はすっかり様変わりした。

 真新しいテーブルの上には、20センチ角の鉛の箱が置かれている。今ではこの放射線測定用の小さな箱が検査室の主役になった。「ほら、これがさっきまで測っていたはちみつ。結果はむろん『食用可』よ」と言いながら、彼女は箱の中から小皿を取り出した。

 あの事故以来、野菜、キノコ、果物、肉、卵、乳製品は抜き取り検査が義務づけられた。はじめの1年は基準以上の放射線が検出され、廃棄処分された食品も多い。しかし輸送の無駄を省くため、産地測定を徹底するようになったので、市場検査で「不適」と判定される食品は減った。産地と市場のダブルチェックで、都市住民を放射線被曝から守るメドはついた。では、農村はどうなのだろうか。

足りない清浄食品

 事故後、ソ連政府は、汚染地域で生産される農産物を買い上げ、住民1人1日1ルーブル(約250円)を支給する措置をとった。表面上は、これで汚染食品の摂取は防げるかにみえる。ところが、これで問題解決にならないことは、当の農村住民が一番よく知っている。なぜなら、たとえ1日1ルーブルもらっても、清浄な食品の絶対量が足りないのだ。

 管内に広大な汚染地帯を抱えるキエフ州衛生管理局のミハエル・スウィチェンコ副局長は「農村部で、食品による放射性物質の体内蓄積の可能性は残っている」と認めた。特に問題なのが、自留地でとれる自給用農産物である。

 白ロシア・ゴメリ州保健部のグレゴリー・アハラメンコ次長は「自留地の場合、ソフホーズ(国営農場)やコルホーズ(集団農場)のように十分な監視はできない。農民自ら警告を守ってもらうしかない」と対応の難しさを打ち明ける。

 両州の保健担当者が最も心配するのが、事故で放出されたヨウ素131とセシウム137の体内蓄積である。ヨウ素131は、半減期は8日と短いものの、甲状腺に蓄積されて機能異常やがんを誘発する恐れがある。特に子供への危険が大きい。半減期の長いセシウム137は筋肉などに吸収されて、がんの引き金になりかねない。

 ノーボスチ通信社東京支局は「APNプレスニュース」の1989年4月28日号に「チェルノブイリ後遺症は続く」と題して白ロシアルポを載せた。数百の村々に汚染警告の立て札があることを伝える文末は「人は警告には慣れる。だからといって放射線の危険がなくなるわけではない」という言葉で結ばれていた。

 ひとたび大気中にまき散らされた放射性物質は、その量を除々に減らしながらも、土壌・水―植物―動物―人間という食物連鎖によって確実に人体に到達する。