3. サーミの伝統文化崩壊の危機
13年1月17日
第2章: ソ連
第3部: 国境超えた原発汚染―スウェーデン
第3部: 国境超えた原発汚染―スウェーデン
少数民族の少数派
セシウム汚染で生活の根底を揺さぶられるサーミのトナカイ遊牧の伝統的な暮らしは、これからどうなるのだろう。北部の古都ウメオ市にあるスウェーデン・サーミ協会の事務所を訪ねると、長身のブルール・サイトン事務局長(46)が、「協会は、サーミの伝統を守るために頑張ってきた。でも、チェルノブイリ原発のセシウム汚染で、何もかもめちゃくちゃだ」と放射能汚染地図を前に、遊牧民サーミの現状を説明してくれた。
彼の説明によると、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、ソ連にまたがる広大なラップランドをルーツとするサーミは、総数5万8千人という。しかし、すべてがトナカイを追い、魚を捕る伝統的な暮らしを続けているわけではない。例えば、スウェーデンのサーミ1万7千人のうち、今も遊牧で生活しているのは800世帯、2,500人余りにすぎない。サーミ自体が少数民族だが、伝統を受け継ぐサーミはさらに少数派なのである。大半はラップランドを離れて都市生活者になっている。「少数派だからこそ、彼らの暮らしを守らなければならんのです」とサイトンさんは語気を強めた。
協会は、サーミの血を引く人たちの相互扶助団体にもなっている。チェルノブイリ事故が起こってからというもの、少数派800世帯の生活を守るため、サイトンさんを含む6人のスタッフが、ほとんどかかりっきりになった。
補償は急場しのぎ
まず、トナカイを追って移動する彼ら一人ひとりを訪ねて、セシウム汚染がもたらした被害を調べ上げた。そしてその実体を基に政府との“補償交渉”に当たった。「本来ならソ連政府に補償を求めるのが筋だけど実現のメドがないので、結局、自国政府に求めるしかなかった」とサイトンさんは言う。
経済的な補償要求は、単に汚染のために捨てなければならなかったトナカイ肉の損失だけではなかった。汚染減少のために配合飼料を利用する人へのエサ代の補償なども含まれた。
しかし、それが急場しのぎでしかないことは、10年の遊牧体験を持つサイトンさんも十分承知している。「遊牧はね、大自然だけが頼りなんだ。トナカイが食べる草、こけ、水…。それがみんなセシウムで汚れてしまった。しかも汚染は20年、30年と続くんだろう?自然破壊どころかサーミ文化の破壊だよ」と言って、彼は唇をかんだ。
サイトンさんがラップランドから公務員として都会へ出る時、父は「サーミの魂だけは忘れるな」と言った。彼が、チェルノブイリ事故直後の1986年5月、協会の仕事を引き受けたのも、その言葉が決め手になった。それから3年、汚染対策に忙殺された彼は、後戻りできない何かを感じ始めている。
サーミの次代を担う子弟の教育問題もその1つである。ラップランドにあるサーミのための全寮制の小学校7校のうち1校が、1988年、児童急減で廃校になった。残る6校の児童は合わせて133人で、10年前の半分にも満たない。
「児童数は前から少しずつ減っていたけど、事故以来、親の方がトナカイを追っての伝統的な暮らしの将来に不安を抱き始め、子供をサーミの学校へ送らなくなった」とサイトンは言う。90年近い歴史を持つこれらの学校は、サーミ語はもちろん、トナカイの飼い方やサーミの風俗、習慣を実地に教える。その「文化伝承の拠点」である学校が崩壊の危機に直面しているのだ。
「あの事故さえなかったらなぁ…」。セシウム137の半減期30年という、気の遠くなるような「時間」との闘いに、サイトンさんは深いため息をついた。