4. 「ニュークリアミルク」
13年1月17日
第2章: ソ連
第3部: 国境超えた原発汚染―スウェーデン
第3部: 国境超えた原発汚染―スウェーデン
日量10万リットルを廃棄
事故による放射能汚染は、サーミの里、ラップランドにとどまらなかった。スウェーデンの首都ストックホルムから北へ170キロのイエブレ市とその周辺に、1平方メートル当たり10万ベクレルと、局地的にはラップランド以上に高い数値のセシウムの雨が降り注いだ。イエブレから100キロ南のウプサラ市にかけての一帯も、3万~6万ベクレルと高い汚染に見舞われた。
「ニュークリアミルク 日量10万リットルが廃棄処分に」「1万5千ベクレル 高汚染続く牧草」…。イエブレ市の日刊紙「アーバターブレーデッド」(3万部)は、1986年のチェルノブイリ事故直後、農業汚染の実態を連日生々しく報じていた。
イエブレ市郊外で80頭の肉牛を飼うエリック・ヒルボムさん(65)は「牧草やたい肥は捨てろ、牛は売るなって言われるし…。まったくひどい目に遭ったよ」と、事故直後の混乱期を振り返った。
ウプサラ市郊外で乳牛を飼っていた老夫婦の農地は、不運にもその地域で最も汚染された。生産するミルクは、事故4カ月後の8月に入っても1リットル当たり300ベクレルを超えた。一向に低くならないミルクの汚染に心労が重なる。将来への不安を募らせた夫婦は、ついに農業に見切りをつけた。
事故後に農地購入
その農地を購入し、1987年1月から酪農経営に乗り出したのが、ソイレン・ファールムギリアンさん(43)と妻のインゲラさん(42)だ。何かと不自由な借地農から脱却しようと考えていた夫妻にとって、老夫婦の離農は独立へのチャンスとなった。
「汚染のことはそりゃ気にはなったよ。でも、そのうち解決するだろうと思って、この農場を買ったんだ。でも、1年目は本当に苦しかったなあ」。とつとつと語る口調にソイレンさんの素朴さがにじむ。
2人が最初に取り組んだのは、汚染の低い地域で収穫された牧草を分けてもらうことだった。しかし、ミルク1リットル当たり100ベクレルのセシウム含有量はなかなか減らなかった。
スウェーデンでは、年間1人平均200リットルもの牛乳を消費する。汚染ミルクからのセシウム摂取が増えるのを懸念した政府は、原乳のセシウム含有量を販売許可基準の10分の1(30ベクレル)に下げるよう指導した。ミルク加工業界は、汚染をさらに薄め、10ベクレル程度にして販売している。少数民族サーミのトナカイ肉規制値が、政府の財政負担を軽減するため、大幅に緩められたのとは対照的である。
100ベクレルをどう下げるかの難題に直面し、ソイレンさんは農業指導員の助言を受けながら、牧草地を30~50センチまで深く耕し、汚染の少ない下層の土を地表に持ってきた。それに、牧草のセシウム吸収を抑制するカリウムを加えた。
こうした努力が実って、今では10ベクレル程度に下がった。「この2年間、牛の世話は私。主人は土壌改良にかかりっきりよ」と、インゲラさんは笑う。しかし、それでもまだ、改良を終えたのは85ヘクタールの農場の半分にも満たない。
現在13頭の子牛を含め38頭の乳牛がいる。1日の生産量は約400リットルだが、2人は乳牛の数をさらに増やす計画でいる。しかし、そのためには残りの農地の改良が欠かせない。
「そりゃあ、気が遠くなるよ、こんなに根気の要る作業は。でも、やるしかないんだ」とソイレンさんは言った。スウェーデン農民のチェルノブイリ事故汚染との闘いは、これからもいつ果てるともなく続きそうだ。